望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

解放感を味わう

 2年ぶりに会った友人がニコニコしていた。湧き出る嬉しさを抑えきれないといった風情の笑顔だった。何か良いことがあったのかと聞くと、友人は「こんなに、マスクを外すと解放感があって、気持ちがウキウキするとは思わなかった」。息をするのが楽になったこともあるが、マスクを着用しなければならないとの重荷がなくなったことが大きいとする。

 マスクの着脱は個人の自由だと政府が認めて以来、友人はマスクを外して出歩き、電車やバスに乗り、量販店などで店内をぶらつき、コンビニなどで買い物をしたという。外出時に友人は以前から人混みでなければマスクを外していたが、電車やバスに乗るときや商店など建物の中に入る時にはマスクをつけていた。マスク着用が半ば強制される空間では友人はおとなしく従ってマスクを着用していた。

 マスクをしていない友人を、以前はとがめるような目で見る人がいたというが、個人の自由だと政府が認めて以降は、目をそらして見なかったふりをする人が増えたと友人。目をそらす心理を「ウイルスが拡散されているとでも連想したのか」と友人は笑い、「あるいは、羨ましいのかもしれない。自分も外したいのに、踏み切れない。だから、外している人を見なかったことにする?」と解釈してみせた。

 マスク着用について新聞やテレビは大騒ぎで報じている。「感染が怖いから」とか「花粉症対策で」当分はマスク着用を続けるという街の声が圧倒的に多いとされるが、マスク着用の効果の冷静な分析は見当たらず、マスクを外すことについて不安感を煽っているとも見える。人々の不安を煽ることをマスメディアは社会に警鐘を鳴らすのが使命だなどと正当化するが、不安に駆られた人々のマスメディアへのアクセスも高まる。

 マスク着用が強制された国では人々は、強制が終了すると途端にマスクを外した。強制ではなかった日本で人々は自発的にマスクを着用するようになった(マスク着用を強制される施設や交通機関などが多く、実態は強制と同じだった)。おそらく人々はマスク着用を強制されているとの意識が希薄だから、個人の自由だとされても、自発的に着用したマスクを外すことに躊躇するのかもしれない。

 マスクを外すことに踏み切れない人が多いことについて友人は「日本人は慎重な国民性だからとか、大勢に従う国民性だからと解釈できるだろう。が、臆病で自己決定を避ける国民性ともいえるんじゃないか」とし、「自己決定を避けるということは、個人の自由を負担に感じるということだ。自由は日本人にとって過分な権利だーなんて皮肉りたくなる」と酒が回ったのか毒づき始めた。

 マスク着用の目的を「ウイルスを吸い込まないため」とする人が多いらしいが、マスクを顔に密着させず、鼻の両脇などに空間を作って着用している人は珍しくなく、マスク着用の意味はすでになくなっていた。「おそらく、3割ぐらいがマスクをしなくなれば、一気にマスクを皆が外し始める」と友人は予想し、「マスクを外せば解放感を感じて、マスクを着用していた頃を変な時代だったと思う人が増えるだろうな」とまた笑った。