望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

膨れ上がる借金

 日本の普通国債残高は1145兆円になり、GDPの2倍を超え、主要先進国の中では最も高い水準にある(2026年度末、財務省)。26年度の予算では一般会計歳出の25.6%を国債費が占める(31兆円強。うち債務償還費が14.9%、利払費等が10.7%)。同一般会計歳入では公債金が29兆円強で24.2%を占める(うち特例公債18,7%、建設公債5.5%)。

 

 歳出の4分の1が、過去に発行した国債の償還と利払いに当てられ、歳入の4分の1が新たな公債金という構成は、積み上がった借金(国債)の制約が大きく、借金を少しずつ返しつつ、新たな借金をして、どうにか回しているというのが日本の予算だ。ちなみに、一般会計歳入の21.8%=26兆円強が消費税で、所得税20.7%、法人税16.9%より多く、租税収入のトップだ。

 

 米連邦政府の総債務は初めて40兆ドルに達した(8月18日現在、約6320兆円)。米国でも債務が膨らんでおり、債務とともにかさんだ利払い費は金利上昇の影響で膨らみやすくなっていると報じられ、米国政府は長期金利を抑え込もうと動く。米国のGDPは30兆ドル台なので、40兆ドルの債務残高はGDPを上回っている。

 

 日本の債務額(1145兆円)と比べると米国の債務額(約6320兆円)は約5.5倍と巨額だが、GDP比では日本のほうが債務の負担は重い。円安による輸入物資関係の値上がりによるインフレが続く日本では、金利を上げると膨張した国債の利払い費が跳ね上がるので、金利をなかなか上げることができず、円安が続き、人々はインフレに苦しむ。だが、これは過去の日本政府の、国債に頼る放漫な財政運営を許容してきた人々が負わなければならない責任だ。

 

 2024年のGDP比の債務残高は日本が251.9%、イタリアが143.2%、米国が126.9%、フランスが110.5%。英国が105.9%、カナダが103.3%、ドイツが64%などとなる(国税庁HP)。新型コロナの感染拡大対策などで各国は巨額の支出を余儀なくされ債務残高が増えたのだが、先進国の政府債務残高は2026年末までに75兆ドルを超え、GDP合計の104%になるとの見通しがあるとロイター。主要先進10カ国で69兆ドルを占め、10カ国のGDP計の114.5%になるとする。

 

 各国ともに債務残高が増える世界で、米国ではAI関連のデータセンター建設などで巨大テック企業による巨額投資が相次いでいる。その資金は社債によって調達されているそうで、市場から資金が吸い上げられ、国債の金利にも影響を及ぼしているとの指摘がある。どうやら各国や巨大テック企業などの「借金」が膨らみ、金利上昇に神経をとがらす世界が日本以外でも始まったようだ。

朱に交われば

 米トランプ大統領は、韓国での米軍と韓国軍の合同軍事演習を大幅に縮小するように指示し、11日間で予定されていた軍事演習は5日間に短縮された。金正恩朝鮮労働党総書記とは「非常に良好な関係」で年内に会談する意向を示すとともに、合同軍時演習には多額の費用がかかるが米国が大部分を負担していることを指摘し、韓国に対する不満を隠さなかった。

 

 米国にとって北朝鮮よりも韓国との関係のほうが重要なはずだが、トランプ大統領は金正恩朝鮮労働党総書記との「交友関係」を優先した。過去の金正恩朝鮮労働党総書記との3回の会談でトランプ大統領は強固な交友関係を構築し、信頼できると確信しているらしい(会談は北朝鮮を非核化に向けて動かすことが狙いだったが、非核化に向けた具体的な動きはなく、逆に北朝鮮は核兵器保有数を増やした)。

 

 核保有国との立場を放棄することはないであろう金正恩朝鮮労働党総書記との会談が行われたとしてもトランプ大統領が得ることができるのは、「旧交」を温め、にこやかに握手を交わす姿をマスメディアに撮影させることぐらいだ。もし会談が行われれば、イランの核兵器保有は絶対に認めないが、北朝鮮の核兵器保有は容認したというメッセージになる。

 

 イランの核兵器保有を絶対に認めないのがイスラエルだ。イランに対する攻撃に米国が加わったのは、ネタニヤフ首相がトランプ大統領に強く働きかけたためだと伝えられている。「イランは弱っている。最高指導者を殺せば人々が体制変革に動く。そうなれば、あなたにノーベル平和賞だ」とでも説得したのかな。だが、戦時体制に追い込んだことでイランの体制は強固になり、米国はイラン戦争をどう終わらせるのか苦慮している。

 

 トランプ大統領にとってネタニヤフ首相との「交友関係」は成果をもたらさず、ホルムズ海峡を抑えられるなどイランの存在感を高めて裏目に出た。トランプ大統領は2期目に就任した頃、プーチン大統領と直接ディールでウクライナ戦争を終結に導くことを匂わせたが、プーチン大統領との「交友関係」は脆いものだったらしく、ロシアのウクライナ侵攻は続いている。

 

 外交において首脳間の「交友関係」は国家間の友好関係に寄与するだろうが、国益を超えるものではない。トランプ大統領の周囲には、媚びたり、へつらったりする人々が集まっていると揶揄されたりするが、外交においてトランプ大統領を都合よく利用しようとする各国首脳は媚びたり、へつらったりして「交友関係」を構築しようとする。

 

 「朱に交われば赤くなる」とは、人は環境や接する人間関係によって感化されるという意味だ。独裁的な指導者に宥和的なトランンプ大統領は、そうした指導者との「交友関係」を頼みにし、米国の国益を軽んじる。朱に交わりすぎてトランプ大統領は自分が外交において民主主義国の指導者であることを軽視するので、トランプ大統領の外交は迷走してばかりだ。

プーチンの密入国

 ウクライナ侵攻を始めたロシアは4年以上たっても「勝利」を得ることができない。日本を含む西側諸国から経済制裁を受け、軍事最優先の経済体制は、インフレと高金利、財政支出の増大、戦時動員による労働力不足などに加え、頼みの原油輸出も制裁強化などで増えてはいないようだ。

 ドローンをロシアに供与していたイランは対米戦争に巻き込まれ、ロシアの戦時体制を支える外国の代表は北朝鮮と中国となった。北朝鮮は部隊を派遣(出稼ぎ?)し、砲弾に加え弾道ミサイルを供与し、中国は西側商品の代替商品で市場を確保し、軍用の部品などを輸出しているという。

 ウクライナ侵攻でロシア軍の死傷者は約140万人で戦死者は約40万~45万人という(2022年2月〜26年6月、米戦略国際問題研究所)。ロシアの人口は約1億4612万人なので、ほぼ百人に1人が死傷した計算だ。勝ち戦に民衆は歓喜するが、負け戦には政権批判が強まるものだ。「勝利」が見えない中でロシアでは9月に下院選挙が行われる。

 プーチン大統領の択捉島訪問は、下院選挙を意識して対日強硬姿勢を示すことが狙いだったとの解釈がある。プーチンの極東訪問は選挙に備えた体制固めが目的だろうが、関係改善という日本を引き寄せておくカードを放棄したという意思表示を、このタイミングで行うことがロシアにとって、どういうメリットがあるのかが判然としない。

 この択捉島訪問は対日強硬姿勢であると同時に、今のロシアにとって最重要な北朝鮮と中国に媚びてみせた行動なのだ。北朝鮮も中国も対日批判を繰り返し、特に中国は日本に対する圧力を強めている。今のロシアにとって、味方の敵はロシアの敵だと表明して見せた(ロシアの自発的行為なのか、中国に促されたのかは不明だ)。

 択捉島を日本は、固有の領土であり、1945年にロシアに不法に奪われたとする。日本にとって択捉島は日本の国境内であるのだから、プーチン大統領は今回、日本に密入国したことになる。負け戦の責任を問われることを恐れてプーチン大統領はロシアを脱出して、日本に密入国した-などと笑い話にしてあげるのがプーチン大統領にとっての最大の屈辱かもしれない。

信仰心と経済

 資本主義の行き詰まりが指摘されるようになった。モノを製造して販売して利益を得て、それを再生産に回して規模を拡大していくという経済活動より、実体経済の十倍にも膨れあがったマネー経済が世界を覆い、汗水垂らして獲得する利益よりも、投資で得ることができる利益のほうが多いとなれば、実体経済に基づく経済理論は役目を終える。

 西洋の近代資本主義はプロテスタンティズムの影響下に発展したと説くのがマックス・ウェーバーだ。人々が従事する世俗の職業そのものが神からの召命であり、誠実に労働することは神の意に沿うことだとし、神に救済される人はあらかじめ決まっているとの予定説との関係など信仰心に支えられた禁欲的労働の結果として、利潤の正当化が行われ、資本主義の発展につながったとする。

 その資本主義が行き詰まっているとしたなら、プロテスタンティズムの信仰の衰退と関係がありそうだ。エマニュエル・トッドは近著の序文で「西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ」とし、西洋における資本主義の変質を次のように論じた(『西洋の敗北』。適時省略あり)。

 「ウェーバーが断言したように、プロテスタンティズムが西洋の飛躍的発展の基盤だったとしたら、今日、プロテスタンティズムの死は『西洋の解体』の原因となり、情緒のない言い方をすると『西洋の敗北』の原因となっている」

 「プロテスタンティズムは、意図せずして、非常に有能な労働力を形成した。産業革命が起きたのがイギリスで、最も目覚ましい経済的飛躍はアメリカで起きたが、西洋の発展のそもそもの中心はドイツにあった。そこに、プロテスタント国で早期に識字化したスカンジナビアを加えると、『第一次世界大戦前夜の先進諸国』を表す地図が出来上がる。西洋のプロテスタンティズムの中心は、自由主義と権威主義という二つの構成要素にまたがっている。一つの極はアングロサクソン諸国、もう一つの極はドイツ(3分の2がプロテスタント)にあるからだ」

 「プロテスタンティズム圏は程度の差はあれ、予定説の教義を受け継ぎ、『選ばれし者と地獄に落ちるものがいる』、つまり『人間は平等ではない』という人間観を共有している。ドイツのあからさまな不平等主義とオランダ、イギリス、アメリカのより和らいだ不平等主義は、『洗礼によって原罪から清められた人間は、みな平等である』というカトリックの根本的な考えに対立した。その結果として、人種差別が最も激しく、最も強固な形で現れたのがプロテスタンティズムの国だった」

 「プロテスタンティズムは、聖書を読み過ぎたことで、『我こそは神に選ばれし者』という自己認識に至った人々を出現させた」

 プロテスタンティズムの信仰に支えられて発展した近代資本主義が変質し、排他的な主張をする政党や候補者が自由投票によって選ばれるようになった西洋では民主主義も変質し始めた。信仰が形骸化して宗教的規範(道徳に通じる)が希薄化し、神が不在となりつつある世界で強欲が正当化され、資本主義の弱肉強食という性質だけは保たれている。

江戸の狂歌集

 最盛期が明和年間であったという江戸狂歌。ブームを触発したという『万載狂歌集』(天明3年刊)は太田南畝が選にあたり、同時代のみならず「古今の狂歌人二百三十余人の詠歌七百四十八首を、『千載集』の部立に準じ、旋頭歌や長歌までをも収める」(角川ソフィア文庫版の解説)。「三河万歳をかすった題名や1首の配列順序などは、それ自体で見事な江戸市井の庶民生活を活写、再構築し、戯作的世界を作り上げていて、選者の見識と批評眼が透徹した最も首尾の整った狂歌アンソロジー」(同・解題)だ。

 当時の時代背景や世相を反映した狂歌は、縁語や掛け言葉の使用が多く、二重三重に掛け合わされたりもして、すぐには理解し難い。だが、文庫版の1990年に刊行された原本(社会思想社、宇田敏彦校中)には、1首ごとに丁寧な注釈があるので面白さのポイントは伝わる。和歌の本歌取り(パロディ)も多く、当時の狂歌人の素養の高さ・深さがわかる。

 748首の狂歌に加え丁寧な注釈、狂歌人の略歴や作者索引、初句索引などもあって文庫版は約500頁あるが、江戸時代の知的笑いの世界を堪能するつもりで、急がずに読み進めれば、天明狂歌の魅力が浮かび上がる。そのまま読んで現代に通じる作品もあるので紹介する(引用の表記は現代に合わせています)。

 のどけしな 富士の高根の煙より すそ野いっぱい萌ゆる若草
 八重一重 見事に咲いた桜田は まことに花の江戸見坂かな
 つばくらの軒端に土をくわえきて うち見るたびに出る子宝
 花の香を惜しみて今日も着替えぬを あわせも持たぬと人や見るらん
 古あわせ鎧にせばや 夕暮れの鬨の声上げ攻めてくる蚊に

 山ひとつ あなたの峯の木の間より まかり出たる月の涼しさ
 夕暮れをまつ坂こえて遠くから やっとせいやっとせい来て踊るなり
 秋の夜の長きに腹のさびしさは ただくうくうと虫の音ぞする
 見渡せば金もおあしもなかりけり 米櫃までもあきの夕暮
 月見酒 下戸と上戸の顔見れば 青山もあり赤坂もあり

 偽りのある世なりけり神無月 貧乏神は身をも離れぬ
 びんぼうの棒が次第に長くなり 振り回されぬ年の暮れかな
 わが恋は 袖やたもとを押し当てて忍ぶとすれど 腹に出にけり
 裏に住む身もさび釘のくされ縁 枕二つはうちつけた仲(うちつけ=遠慮がない)
 独り寝に我はふとんの柏餅 可愛いと言うて摩り手もなし

 心には針もちながら 会う時は口に蜜ある 君ぞわびしき
 東路に富士と名高きお山こそ 行き来の人の見とれぬはなし
 楽しみは 春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度食うめし
 借銭の山に住む身の静かさは 二季よりほかに訪う人もなし(二季=盆暮れ)
 いたづらに過る月日もおもしろし 花見てばかり暮らされぬ世は

 虎に乗り片割れ舟に乗れるとも 人の口端に乗るな 世の中
 世の中をクソの如く見下して 屁っぴり儒者と身はなりにけり
 目は見えず腰はかがまる歯はかける 南無あみ豆腐 食べるばかりぞ
 本来は一物もなき布ふくろ 開けぬうちこそ宝なりけれ(布ふくろ=ほてい)
 当世は神も偽る世なりけり かんだといえど冷や酒もなし

精神的なものばかり

 世界には196の国家があると外務省。内戦などで国内の混乱が続く国では、人々の帰属意識は必ずしも国家に向かわず、民族対立なども加われば分離独立を求める人々も現れる。国家により世界は分割されており、人々は国家の存在を意識し、時には国家に対する帰属意識を高める。中には、自分たちを特別視するために独自性の根拠を国家に求める人々もいる。

 かつて、欧米から知識や技術などを導入して近代化を急いだ日本で、欧化政策に対する反動として日本主義が現れた。日本には古くからの伝統があるとして考えだされた独自性を強調して自尊心を高める論だったが、近代に形成された日本という国家を特別視する国家主義と結びついた。独裁する軍部による戦時体制を支えるものとして日本主義は利用されたが、1945年の敗戦とともに一気に色褪せた。

 日本主義など偏った主観に基づく精神論の空虚さを加藤周一氏は指摘する(「日本文化の雑種性」、1979年=『加藤周一セレクション⑤』平凡社ライブラリー所収)。

 「日本精神を説く人が純日本風の電車や選挙を説くことはない。そんなことは不可能だからであり、日本風といわれるものは精神的なものばかりである。日本の伝統文化を讃える当人が、自分の文章を毛筆で書かず、和綴じではなく西洋風の本にこしらえる」

 「政治、教育、その他の制度や組織の大部分が西洋の型をとってつくられたものだ。精神だけが純日本風に発展する可能性があると考えるのは、よほどの精神主義者でなければ難しいだろう。日本主義者は必ず精神主義者となり、日常生活や下部構造がどうあろうと、精神はそういうものから独立に文化を生み出すと考える。ところが、立論に欠くことのできない概念の多くが西洋伝来の、和風からは遠いものである。自由や人間性、分析、綜合などの概念を使わずに、人を説得する議論を組み立てることは、議論の題目によっては不可能であろう」

 「日本の文化の雑種性を整理して日本的伝統にかえろうとする日本主義者の精神が、すでに翻訳の概念によって養われた雑種であって、翻訳の概念を抜き取れば忽ち活動を停止するにちがいない」

 現在も日本では経済や政治、文化などで欧米発の新しい概念や制度に追従することが多く、欧化政策が続いている。その反動として新たな日本主義は、精神論ではなく日本の独自性を示す事柄を取り上げた日本礼賛として現れるが、独自性を判断する根拠が外国人の評価だったりし、これは衰弱した精神を示す。精神論に傾きすぎるよりはマシだが、独自性を強調して自尊心を高めるために外国人の視点を必要とする日本人の精神の現在を表している。