望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

大雨と大雪

 今年は日本各地で大雨が相次いだ。8~9月には千葉県や石川県、富山県、福井県、東海地方などで豪雨や大雨となり、大雨や土砂災害などの特別警報が連日のように報じられた。千葉県内では降水量が300mm/日を超える極端な豪雨となり、石川県などで150mm以上/日が増え、福井県では250mm/日を超える地点が増えていた。

 

 冠水した道路やアンダーパスには立ち往生した多くの車両が放置され、河川の氾濫などによって床下・床上浸水した住宅や冠水した田畑が広範に出現したほか、都市部では排水しきれない雨水が道路を満たして、タイヤの半分以上も冠水した道路を盛大に水しぶきを撒き散らして車両が走行する姿が報じられ、従来の排水対策では対応できなくなっている都市の現状を明らかにした。

 

 この記録的大雨には地球温暖化が影響していると気象庁は発表したが、地球温暖化に対する実効性や即効性のある国際的な対策は乏しく、太平洋などの海水温の上昇は続くだろうから、地球温暖化による大雨は日本各地で今後も頻発する可能性がある。降水量が今後も大幅に増えると予測した大雨対策を急いで講じる必要があるが、政府の具体的な動きは見えない。

 

 こうした豪雨や大雨が今後も続くとなると、日本海側や北海道など降雪地帯での豪雪や大雪が心配される。降水量と降雪量の関係は地上気温と雪質などで変化するそうだが、気温0度前後で降水量が1mmの場合、降雪量は約1cmの見当だという。零下1度以下では降雪量は2cm以上になったり、もっと気温が下がると降雪量が3cm以上になることもあるという。また、湿った雪なら降雪量は少なくなり、乾いた雪なら増えるともいう。

 

 降水量が100mm以上/日が冬の降雪地帯で起きれば、かなりの積雪量になる。単純に降水量1mm=降雪量1cmと計算すれば、100cm規模の積雪となり、2025年2月の十勝地方での一晩での124cmの大雪の再来が懸念される(12時間での降雪120cmは観測史上の最大だった。この大雪は十勝地方沖合の海面水温の異常高温と低気圧などとの複合効果によるとされる)。

 

 この夏の各地の豪雨や大雨は主に太平洋側から日本列島に大量の水分が供給されることが度重なって起きた現象だろうから、気圧配置が異なる冬の日本海側や北海道などに太平洋から大量の水分が供給されるとは考えにくい。冬の大雪は、大陸から西進する低気圧が日本海で大量の水分を得ることで生じるのだろうから、この夏の豪雨や大雨と同程度の降水量になるとは想定しにくい。

 

 だが、海面水温の上昇は日本海側でも確認され、気象庁は「日本海中部~南西部の上昇率は世界全体の上昇率の約2~3倍」とし、「特に日本海中部の海面水温の上昇率は日本近海で最も大きい」「日本海中部では冬季の上昇率が+2.64度/100年と大きく、南西部では全ての季節で海面水温が上昇している」とする。日本海を西進する低気圧に大量の水分が供給されるとすると、この冬は豪雪や大雪が各地を襲う可能性がある。

高齢の首脳

 1945年2月に開催されたヤルタ会談で米英ソ3国首脳は、第二次大戦後の世界秩序について協議した。ヤルタ協定として公表されたのは①国際連合の設立(5カ国の拒否権を認めた)、②4カ国によるドイツの分割管理、③東欧諸国の民主化、④ソ連の対日参戦(これは秘密条項)だ。これにより米ソの世界の分割支配という戦後体制が形成された。

 

 参加したのは米国からフランクリン・ルーズベルト大統領(会談時は63歳)、英国からウィンストン・チャーチル首相(同71歳)、ソ連からヨシフ・スターリン書記長・首相(同64歳)だ。ルーズベルト氏は1945年4月に脳出血で死亡し、戦後世界がどうなったかを見ることはできなかった。チャーチル氏は1965年1月に脳卒中で死亡した(享年90歳)。スターリン氏は1953年3月に脳卒中で死亡した(享年74歳)。

 

 プーチン大統領が11月に開催されるAPEC首脳会議に合わせて、トランプ大統領と習近平国家主席との露米中3カ国の首脳会談をトランプ大統領に提案したそうで、トランプ大統領は記者に「ウクライナというより、核兵器と非核化について話し合う」と述べたという。トランプ大統領が非核化について意欲を持っているとは知らなかったなあ。

 

 プーチン大統領は、歩み寄りの姿勢を見せるトランプ大統領をもっと引きつけ、ウクライナでの戦況打開へつなげることが狙いだろうが、ウクライナと対立はしても見捨てることはできないトランプ大統領は、この提案をいなしてみせた(米国の行動によりウクライナが敗北すれば、米国内で政権批判が更に高まる可能性がある)。

 

 米中露3国の首脳会談が実現しても、世界で複雑に3国の利害が絡み合う現在、儀礼的な会談になるだろう。だが、ロシアや中国と世界を分割支配してもいいとトランプ大統領が考えたとすれば、この3国による会談は今後の世界秩序に大きな影響を及ぼす(そんな構想力がトランプ大統領にあるか不明だが)。

 

 気になるのは3国の首脳が高齢であることだ。1952年生まれのプーチン氏は74歳、1946年生まれのトランプ氏は80歳、1953年生まれの習近平氏は73歳なので決して若くはない。3氏とも権力の頂点にいるので万全の健康管理体制がとられているだろうが、人間には寿命がある。習近平氏のように個人独裁体制を固めると、健康不安の表面化で体制崩壊につながりかねない。

 

 ドイツや日本という米英ソの当時の共通の敵国が存在したからヤルタ会談は成立したが、現在の世界で米中露の共通の敵国や武装勢力は存在しない。そうした世界で、3国の高齢の首脳が話し合っても新たな世界秩序などにはつながらないだろう。冷戦は終わったが、大国による主導権争いが激しくなるなど大国による支配を認めたヤルタ体制は存続している。

M9.9

 マグニチュード(M)は「地震そのものの大きさ、つまり地震の規模(エネルギー)を表す」、どれくらい揺れたかを示す「震度は場所ごとにそれぞれ決まるが、マグニチュードは1つの地震に1つの数字」「マグニチュードが0.2大きい地震は約2倍、1.0大きい地震は約32倍、2.0大きい地震は1000倍のエネルギーを持つ」(気象庁HP)。

 

 2011年の東日本大震災はM9.0という巨大地震で、大規模な津波が東北の太平洋側などを襲い、大きな被害をもたらした。東から太平洋プレート、南からフィリピンプレートに押されている日本ではプレート境界型による大きな地震が起きるが、押されている日本列島には歪みが溜まることで活断層型の地震も内陸などで多く発生する。

 

 20世紀以降に記録された地震で最大はチリ地震のM9.5(1960年)だが、アラスカ湾地震のM9.2(1964年)、スマトラ島沖地震のM9.1(2004年)、東日本大震災とカムチャッカ半島地震(1952年)がM9.0とM9クラスの巨大地震は少ないが、世界で起きている。M8台の巨大地震はもっと多い。

 

 カムチャッカ半島や千島列島付近でM9.9の地震が起きたとすれば、東日本大震災の約32倍のエネルギーであり、日本にも大きな影響が想定されるので気象庁が緊急地震速報を発し、身を守るように注意を喚起したのは当然だ。だが、震源の位置を誤認して計算して日本への影響を過大評価したとあっては気象庁はひたすら頭を下げて、誤情報で混乱させたことを謝るしかない。

 

 気象庁の大きな失態だが、M9クラスの地震がいつ、どこでも起きうるのだということを再認識させる効果はあった。過去のM9クラスの地震はいずれもプレート境界型地震であったので、今回の震源の位置もプレート境界だから巨大地震の発生がありうるとの危機感が優先して警鐘を鳴らすことに急いだのは責められることではないだろう。だが、M9.9の地震が実際に起こりうるのかという疑問・検証は後回しになっていた。

 

 M9.9の地震が千島列島付近で実際に発生したとすれば、どのような被害を生じさせるのか。日本列島を大きく揺さぶり、日本にも大きな津波が押し寄せたかもしれない。M9.9の地震は周辺地殻を揺さぶって脆くさせ、数多くの後発地震を誘発するだろう。太平洋プレートの動きにも影響を与え、太平洋プレートの動きを活発化させるとすると、日本でプレート境界型の地震が増える。

 

 今回の緊急地震速報は誤報だったが、M9.9の地震が実際に起きていたなら、それは人類史上の最大規模の地震だった。想像を絶する被害を北アメリカや東アジアにもたらしていた可能性がある。古代の人々なら、それは神の怒りとして受け取っただろうが、信仰心が形骸化した現在では、神の怒りの表れとして、それまでの生活や考えを改める人々がどれほど存在するのかは定かではない。

日本の進む方向

 市場経済が世界標準だと人々は思いこまされているが、市場経済は選択肢の一つであり、国ごとに発展段階や文化、歴史などは異なる。だから、グローバリズムに無理に追随せず、その国の国内経済を豊かにする経済システムへ転換した方がいいと説くのが佐伯啓思氏だ。古書店で最近購入した『経済学の犯罪』(講談社現代新書、2012年)から、日本の今後について論じた箇所を少々長いが引用する(適時省略あり)。

 

 「明らかに新興国へとマーケットは拡大してゆく。この状況の中でのグローバル競争は日本にとって都合の良いものではない。日本が率先して『新たな社会』モデルを生み出す必要がある」

 想定外の地震が多発する「日本の緊急の課題は防災であり、生活の安全性の確保を優先する以外にない。首都機能の移転も含めて巨大地震に対応できる国土や交通網、生活基盤の確保などの公共政策が不可欠で、先延ばしすることはできない」

 「外部的なショックに対して強靭性を持った経済システムを構築する必要がある。それは市場主義的な効率性にたったシステムではない。無駄を省くことが無条件で望ましいわけではない。効率性の経済ではなく、強靭性=弾力性の経済が求められている」

 日本の「傾向的に低落してきた成長率が人口減少のなかで急激に上向くなどとは予想するわけにはいかない。慢性的な需要不足を想定すれば、成熟段階にある日本が、さらなる経済成長追求路線をとることは得策でなく、実際に不可能であろう」

 「日本の活路を開く道は、脱成長主義の社会へ向けた社会像を構想し、その方向へ向けた公共計画を官民協調のもとで実現することだ」「成長主義という思い込みから解放され、成長主義の強迫観念から自らを解き放つことは、成長主義・効率主義・能力主義という市場主義の価値からの転換を図ることである」「新たな社会に向けた公共計画や防災を含む国土の強靭化によって、内需は拡大し、経済は活発化する」

 「長期的にいえば、成長主義や効率主義を無理に政策の軸にすえるべきではない。低成長を前提にすればよい。失われた20年といって過度に悲観的になる必要はなく、過剰に自虐的になる必要もない」

 「重要なのは、将来を構想する力にある。それは少子高齢化へ向けた社会であり、社会生活の安全性と安定性の確保であり、文化や教育や地域という『人づくりのインフラストラクチャー』へ配慮した社会であろう。それらは、効率性や利潤原理からすれば分の悪いものであって、だからこそ価値観の転換がまずは求められるのだ」

 「我々は、善い社会とは何かという伝統的でオーソドックスな問いの前に回帰している。これは容易には合意ができないだろうが、善い社会についての構想力だけがこの苦境からのエクソダスだとすれば、それはやりがいのあることだろう。そこでこそナショナル・アイデンティティが問われ、本当のナショナリズムが試される」

 「戦後日本は、復興・高度成長・アメリカに追いつくーなどを価値としてきたが、それはもう不可能で不必要でもある。我々が置かれているのは、真に我々の文化や生活に根ざし、歴史に棹さした日本の価値を取り戻すことだ。さもなければ、善い社会など構想のしようもないだろう」

勝ったものが強い

 若い頃は阪神タイガースのファンだったという友人は、東京に転勤になってからは東京ドームや神宮球場、たまに横浜スタジアムに観戦に出かけていたという。立ち上がって応援歌を歌ったり、選手名を連呼したことはなく、ビール片手に静かに観戦するスタイルだったそうだ。

 

 代々木体育館にアイスホッケーの試合を見に行ったり、誘われてボクシングや大相撲などを見に行ったこともあるそうで、スポーツには親しんでいたが、熱心に特定の個人やチームを応援することはなかったという。だから、例えば、観戦に行った阪神タイガースが勝てなくても落ち込んだりすることはなく、あそこで打たれなければ、とか、あそこで1本出ていればなどと思う程度だった。

 

 距離を置いて見ていたので、さほど勝敗にこだわりはなかった友人だが、阪神タイガースには勝つことを期待していた。だが、仕事が忙しくなり、プロ野球観戦に行く余裕がなくなり、阪神タイガーズの成績を気にすることもなくなり、スポーツ観戦とは縁が切れた。20数年後、退職して郷里に帰った友人は、テレビで久しぶりに阪神タイガーズの試合を見たが、知らない選手ばかりで親近感がよみがえらず、プロ野球に対する興味もよみがえらなかった。

 

 そんな友人は知り合った地元の人に誘われて競輪場に行った。近くで見る競輪選手のスピードと本気のつぶし合いにびっくりし、魅了された。それで競輪場に通うようになった友人だが、車券は当たらない。この選手が来ると予想しても、レース中の選手間の駆け引き次第で展開は変わり、ノーマークの選手が突っ込んできたりして、友人の予想は外れてばかりだ。

 

 友人は学んだ。応援する選手や強い選手が勝つと期待・予想して車券を買っていたが、レースの展開と選手の位置どりで勝負は決まるのだ、と。強い選手が勝つとは限らず、変化するレース展開と選手の位置どり次第で誰にでも勝つチャンスがあり、強い選手が勝つのではなく、勝った選手が強いのだと考えるようになった。

 

 そして友人は「勝ったものが強いというのは、この世界も同じじゃないか」とも考えた。選挙に勝った米トランプ大統領は思うがままに権力を振り回し、圧倒的な武力を有するイスラエルは周辺地域に侵攻し、制圧した。トランプ大統領にもイスラエルにも厳しい批判が向けられるが、トランプ大統領もイスラエルも動じない。

 

 「強いものが世界の主導権を握っているのではなく、世界の主導権を握っているものが強いのだ」と理解した友人は、日本でも政治や経済、社会などで「強いものが支配しているのではなく、支配しているものが強い」とする。「お前の家でも同じか?」と恐妻家と評されている友人に聞くと「そうだ。支配している俺が強い」と虚勢を張ってみせた。

戦勝国史観

 第二次世界大戦の主な戦勝国は米国、英国、フランス、中華民国、ソ連だ(この5カ国が安保理の常任理事国。ほかにも戦勝国は多いが、長く参戦していたのが5カ国)。敗戦国はドイツ、日本のほかにイタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドだ(この7カ国が国連憲章の敵国条項の対象国だと日本政府)。

 

 第一次大戦の主な戦勝国は米国、英国、フランス、イタリア、日本(ほかにも戦勝国は多い)。敗戦国はドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリアだ。ドイツは両大戦での敗戦国だが、日本やイタリアは第一次大戦では戦勝国だったが、第二次大戦で敗戦国となった。ドイツは敗戦国としての「経験」が長く、国際社会では慎重に振る舞う。

 

 第三次大戦が起きたなら大量の核兵器が使用される可能性があり、戦勝国の損害も莫大だろう。敗戦国の賠償金だけでは戦勝国は納得できず、敗戦国は独立を剥奪され、戦勝国の「植民地」にされるか併合され、収奪され続けることになるかもしれない。敗戦国は全てを奪われ、戦勝国に従属し続けるだけの存在になる(戦勝国は領土拡張という成果を得たが、核戦争で荒廃した敗戦国の領土を得たところで負担が増すばかりか)。

 

 戦争に勝った戦勝国は特権を得る。現在、常任理事国5カ国が拒否権を独占し、国際秩序を自国有利にいくらでも歪ませる。5カ国は世界各地で軍事介入したり、戦火を開いたり、領土・領海の拡大に動いたりしてきたが、国際社会は言葉で批判する以上のことはできない。国際社会で5カ国は「治外法権」を許されている。

 

 大陸にある中華人民共和国(建国は1949年)は第二次大戦の戦勝国ではないが、国連において中華民国の地位を引き継いだので、戦勝国であると振る舞い、戦勝国であることを自国の一方的な政治主張の正当化に利用する。米トランプ大統領が中華人民共和国が第二次大戦で米国の同盟国であったと表明したことで、中華人民共和国の歴史の解釈を正当化した。

 

 戦勝国が特権を得る現実は、国際秩序を変えるためには新たな戦勝国になることが必要だと示している。だが、日本が新たな戦勝国になるためには新たな戦争が必要で、それは第三次大戦かもしれず、そこで日本が戦勝国になれたとしても、得たものよりも失ったもののほうが大きいだろう。また、第三次大戦後に形成される国際秩序はどうなるか不明で、戦勝国の特権に基づいた国際秩序が形成されるかも不明だ。

 

 中華人民共和国もロシア連邦(成立は1991年)も現代のファシズム国家だが、引き継いだ「過去の栄光」を活用して自由主義陣営の一員であるかのように装う時がある。戦勝国であるというポジションを現代のファシズム国家が利用し、欧米主導の国際秩序を歪ませているのだが、敗戦国は黙るしかなく、米英仏は座視するだけで、敗戦国バッシングはスルーされる。

不満のはけ口

 トランプ大統領は自由選挙により選出された権力者だが、恣意的かつ私意的な権力行使が目立つ。グローバリズムにより国内の製造業が衰退した米国で、困窮した人々らの広範な支持でトランプ氏は当選したと指摘される。困窮する生活に苦悩する人々はトランプ氏が人々の生活を少しでも良くしてくれることを期待しただろうが、今のところ顕著な「成果」は見えないようだ。

 

 自由選挙で人々は、より良い生活やより良い社会になるように投票するが、「より良い」が意味するものは時代とともに変化する。戦争の惨禍の記憶が保たれているなら、平和で安定した世界を求め、むき出しの資本主義によって搾取される時代の困窮する人々は、そうした現状を変革できると期待し、既成政治に関与していなかった政党や候補者に投票する。

 

 トランプ大統領は民主主義的な価値観に頓着しない人物だが、そうした人物に投票するしかなくなったのが現在の米国だ。トランプ大統領は権威主義諸国の強権的な指導者に親和観を持っているようで、選挙を考えなければ困窮する人々のことは忘れるだろう。そうした人物に、社会を変えて欲しいと希望を託すしかなくなった米国。民主主義は自由選挙により衰退する。

 

 主権者である人々が国家の統治のあり方を決め、政治の方向性を定めるのが民主主義であり、自由選挙によって主権者である人々は意思表示する。そこから、民主的とは「皆で話し合って決める=意思決定に皆が参加する」こととされ、そこでは少数意見の尊重や熟議も不可欠とされる。

 

 主権者である人々の意思が国政に反映されるためには、①主権者である人々が選挙に全員参加できる、②権力による人々の選挙参加の制限・強制が禁止される、③選挙結果が操作されずに正確に公表される-ことが必要だ。政権の正当性を演出するために国政選挙は各国で行われるが、立候補を制限したり、開票プロセスが不透明であったりと、怪しげな国政選挙を行う諸国がある。

 

 権力を占有した人々や軍などによる専制政治体制を人々が打倒して民主主義体制が成立し、世界に広がったのだが、人々の自由選挙により成立した政府が必ず人々の暮らしを安定させ、豊かにする政治を行うとは限らない。人々よりも経済界や富裕層などに配慮した政治を行う例は各国に珍しくなく、自由選挙により選ばれ権力を担うことになった政府が強権政治に徐々に移行する例もある。

 

 欧州では自由選挙で人々は既成政党より、移民排斥を主張する極右政党やポピュリズム政党を支持するようになり、リベラル寄りの価値観による民主的社会の変革を求める。時代の変化とともに人々が自由選挙で求める政治のあり方も変化し、時には民主主義の軽視や否定さえも招く。人々が安定した暮らしを脅かされていると感じる社会で、自由選挙は不満のはけ口となる。