望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

精神的なものばかり

 世界には196の国家があると外務省。内戦などで国内の混乱が続く国では、人々の帰属意識は必ずしも国家に向かわず、民族対立なども加われば分離独立を求める人々も現れる。国家により世界は分割されており、人々は国家の存在を意識し、時には国家に対する帰属意識を高める。中には、自分たちを特別視するために独自性の根拠を国家に求める人々もいる。

 かつて、欧米から知識や技術などを導入して近代化を急いだ日本で、欧化政策に対する反動として日本主義が現れた。日本には古くからの伝統があるとして考えだされた独自性を強調して自尊心を高める論だったが、近代に形成された日本という国家を特別視する国家主義と結びついた。独裁する軍部による戦時体制を支えるものとして日本主義は利用されたが、1945年の敗戦とともに一気に色褪せた。

 日本主義など偏った主観に基づく精神論の空虚さを加藤周一氏は指摘する(「日本文化の雑種性」、1979年=『加藤周一セレクション⑤』平凡社ライブラリー所収)。

 「日本精神を説く人が純日本風の電車や選挙を説くことはない。そんなことは不可能だからであり、日本風といわれるものは精神的なものばかりである。日本の伝統文化を讃える当人が、自分の文章を毛筆で書かず、和綴じではなく西洋風の本にこしらえる」

 「政治、教育、その他の制度や組織の大部分が西洋の型をとってつくられたものだ。精神だけが純日本風に発展する可能性があると考えるのは、よほどの精神主義者でなければ難しいだろう。日本主義者は必ず精神主義者となり、日常生活や下部構造がどうあろうと、精神はそういうものから独立に文化を生み出すと考える。ところが、立論に欠くことのできない概念の多くが西洋伝来の、和風からは遠いものである。自由や人間性、分析、綜合などの概念を使わずに、人を説得する議論を組み立てることは、議論の題目によっては不可能であろう」

 「日本の文化の雑種性を整理して日本的伝統にかえろうとする日本主義者の精神が、すでに翻訳の概念によって養われた雑種であって、翻訳の概念を抜き取れば忽ち活動を停止するにちがいない」

 現在も日本では経済や政治、文化などで欧米発の新しい概念や制度に追従することが多く、欧化政策が続いている。その反動として新たな日本主義は、精神論ではなく日本の独自性を示す事柄を取り上げた日本礼賛として現れるが、独自性を判断する根拠が外国人の評価だったりし、これは衰弱した精神を示す。精神論に傾きすぎるよりはマシだが、独自性を強調して自尊心を高めるために外国人の視点を必要とする日本人の精神の現在を表している。