望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マスクと同調圧力

 欧米諸国などではマスクの着用義務を撤廃する動きが広がっているが、日本ではまだマスク着用が一般的だ。マスク着用が推奨に留まっていたのに日本で人々はマスクを着用し、実質的に着用が義務化されたような状態だった。だが、欧米に比べマスク着用に抵抗感がないと言われる日本でも、いつまでマスク着用を続けなければならないのか?との疑問が出てきた。

 そうした声は、政府に判断を求めるのだが、それはマスク着用について自分で判断して行動できないことを示す。例えば、3密の状態や環境ならマスクを着用し、3密でないなら外すーなどと自分で判断できるなら、義務でもないのだから政府の判断をいちいち求めはしない。マスク着用は、状況に応じて個人が判断すればいいのだが、そうした判断を躊躇する人々がいる。

 政府に判断を求めることを正当化するために持ち出されるのが、同調圧力だ。圧力といっても、マスクを着用しない人に対して人々が「マスクを着用しろ」と直接強制することは少なく、「世間の目が気になる」=「世間の目を気にする」意識から同調圧力の存在を言い募る(同調圧力があるからと、自分で判断することをせずに、流れに黙って従うことを正当化する)。

 同調圧力は便利な言葉だ。自分で判断することを放棄している人が、何やら同調圧力による被害者であるかのように装うことを可能にする。自分で判断することには責任も伴うが、同調圧力があるから仕方がないと、自己判断も自己責任も放棄できる。自分で判断せずに何ごとも政府の判断に従う人々が増えると、民主主義は形骸化する。

 個人で判断できるなら、同調圧力に抗うことができよう。マスクを着用していないことを咎めるような他人の視線は無視すればいいし、何か言われたなら、マスクを着用していない理由を説明してあげればいい。同調圧力に屈するのは、同調圧力に屈したい気持ちがあるからで、自分で判断することを放棄する口実にしている。

 同調圧力は、「少数意見を持つ人に対し、周囲の多くの人と同じように考え行動するように暗黙のうちに強制すること」とか「地域共同体や職場などで意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制すること」などと定義される。「暗黙のうちに強制」できるのは、少数意見を有する側が雰囲気に屈するからであり、その少数意見が放棄できることを示す。

 猛暑の夏を前に政府は5月25日、マスク着用が推奨される状況と必要がない状況を細かく説明した指針を公表したが、引き続きマスク着用が基本として推奨されることも示した。重症化率が低下した新型コロナウイルスと共生するなかで欧米諸国はマスク着用義務の撤廃に動き、日本では人々はマスク着用の判断を政府に求め、政府は基本としてマスク着用を推奨し続けた。日本における新型コロナウイルスとの共生は、同調圧力も加わって、一層息苦しいものになる。