望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

その場しのぎ

 パンデミックが始まり、西欧などマスク着用の習慣がなかった諸国では、新型コロナウイルスの拡散防止対策としてのマスク着用の強制に人々から反発の声が上がった。日本ではマスク着用に厳しい拒否反応は起きなかったが、市中からマスクが消え、人々はマスクを探し回り、争奪戦が始まった。

 当時の政府はマスクの品不足解消が最優先課題と判断したのだろう、政府が布マスクを調達して人々に配布した。これがいわゆるアベノマスク(2020年4月。政府による不織布マスクの推奨がなされたのは2021年4月)。「適切な対応」に政府は人々からの賞賛や喝采を得ることができると期待したのだろうが、2枚の布マスク配布に人々の反応は冷淡だった。

 人々が欲しているものを政府が調達して配布した日本。布マスクは洗って再利用できるからマスク不足対策の妙案と政府は自画自賛した。「非常時」の対応なのかもしれないが、市場経済の原則に則るならば、政府が市場のプレイヤーになるのではなく、企業にマスクを市場に供給することを政府は促し、環境整備すべきだった。

 市場経済の国においても政府が行う経済活動は様々な公共事業などとして存在する。それらは次第に民営化され、企業に委ねられる傾向が20世紀後半以降に顕著となり、「民でできることは民で」との主張が叫ばれる。今回のパンデミックでは、民間主導の経済活動の収縮が続き、各種給付金の支給など国家による経済活動が「非常時」を支えた。

 マスクを政府が調達しなければならない状況とは、①マスクが必需品である、②マスクの生産や流通に関わる民間企業が不在または希少、③マスクの供給が不足ーの場合だ。市中からマスクが消えたのは、一気に需要が増えたためだが、生産や流通に関わる民間企業は存在していた(政府は民間企業から布マスクを調達した)。

 当時の政府がアベノマスクの配布を始めるまでには時間がかかり、配布を始めた頃には市中に各種のマスクが出回り始めていた。政府がマスクの在庫を大量に持っていたならば、市中からマスクが消えた時にすぐアベノマスクを配布できたであろうが、当時の政府にはマスクの大量在庫はなかった。

 そのアベノマスクが現在、8000万枚以上が在庫として保管され、保管費用に6億円以上かかっていることが明らかになり、批判を浴びた政府は希望する自治体や個人に無償で配布することを決め、残りは廃棄処分にするという。もったいないな。当分使用されない五輪施設にでも保管すれば費用は少なくて済むだろうから、「次に」マスク不足になったときのために政府は備蓄しておけばいい。

 それに、政府がマスクを調達して全国の家庭に配布するという愚策の記念物としてもアベノマスクを保存する意味がある。政治家が目先の出来事に振り回され、政府も官僚も基本的な対策を後回しにし、その場しのぎの対策に懸命になる日本の政治の記念物でもあるな。