望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

革命の成果は独裁

 ロシアでプーチン氏は個人独裁の体制を構築し、君臨しているように見える。中国では習近平氏が3選を実現して権力の座に居座り続け、個人独裁を目指していると報じられている。両国には過去に革命で共産党が権力を掌握したという共通点があり、さらに皇帝が絶対的な権力を握って君臨していた過去があることも共通する。

 共産国家ではほかに北朝鮮ルーマニアなど各国で個人独裁が行われていた。共産主義ブルジョア独裁を否定して労働者階級の独裁(プロレタリアート独裁)を掲げたが、その理論は現実では、労働者階級を代表するという共産党独裁の正当化となり、次いで共産党を掌握する執行部の独裁の正当化、さらには共産党の執行部を掌握する個人の独裁化につながった。

 ロシアと中国の共産革命の主体は人民であったはずだ。その人民が西欧流の市民とならなかったのは、革命以前のロシアと中国に市民社会の萌芽がなかったからだろう。共産革命の主体の人民としての意識は人々の間から自然発生したものではなく、理論として教えられたものだったから、共産革命が成功した途端に人民は革命体制を支えるべき存在に変質させられ、革命体制を翼賛するのが人民とされた。

 市民意識は、君臨する皇帝や貴族などの専制支配に抗い、人々が社会の主導権を握るための闘争から生まれるものだ。市民意識は人々が個人の権利を主張するところから生まれる。だが人民意識は階級意識が優先される中にあり、個人の利益よりも階級の利益が優先される構造だから、階級意識より個人意識を優先させる人々は反革命とされたりする。

 ロシアと中国の過去は、皇帝にしろ共産党にしろ中央で権力が独裁し、専制支配と従属させられる人々という同じ構図だ。両国で人々が共産党に与して革命を目指したのは、個人の権利の主張でもあったのだろう。だが、共産党が問題としたのは共産党以外の権力の独裁の否定であり、共産党の独裁は容認した。

 ロシアや中国におけるプーチン氏や習近平氏の個人独裁は、両国の歴史的な統治スタイルへの回帰とも見える。ロシアは共産党独裁を経て西欧流の民主主義社会に転じたように見えたが、経済的混乱などもあって市民意識の定着に失敗し、プーチン氏が個人独裁の体制を構築した。中国は人民意識から市民意識への転換を許さず、経済が資本主義化しても共産党の独裁統治を続けるために統制を強めざるを得ない。

 共産革命は人民の解放につながるものと吹聴された過去があるが、革命が成功したあと、人々(人民)は皇帝らが君臨していた時代と変わらない状況に置かれ続けた。人民(人々)の力がなければ共産革命は成し遂げられなかったが、共産党は革命の成果を簒奪し、人民に君臨した。ロシアや中国など市民社会の萌芽がない国における共産革命は、新たな独裁体制への移行に過ぎなかった。