望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マスクを外せ

 日本政府のウイズ・コロナ政策は、▽新型コロナウイルス感染症法上の分類を「2類相当」から「5類」に引き下げる、▽医療費の公費負担は段階的に縮小、▽病院への診療報酬の特例措置などを見直す、▽濃厚接触者の外出自粛は不要、▽特措法に基づく緊急事態宣言やまん延防止等重点措置は廃止、▽スポーツ観戦やイベントの収容人数制限を撤廃、▽屋内でのマスク着用は個人の判断に委ねる、▽ワクチンの無料接種は当面継続するーなどとなった。

 岸田首相は新型コロナ感染症対策本部で「家庭、学校、職場、地域、あらゆる場面で日常を取り戻すことができるよう着実に歩みを進めていく」と語ったと報じられた。「日常を取り戻す」とはパンデミックの中での生活という非日常を終わらせることであるが、新型コロナウイルスと共存せざるを得ないという新しい日常でもあり、パンデミック以前の日常と同じではない。

 マスク着用は現在も法律に基づく強制ではないが、商業施設や公共施設、公共交通機関などでマスク着用が求められることもあって、出歩く人の大半がマスク着用だ。マスクを着用しない人は珍しくなくなったものの、多くはないという状況だ。屋外でのマスク着用は自由だと政府は少し前からアナウンスし始めたが、なお大半の人は屋外でマスクを着用している。

 人々がマスク着用を続けるのは、新型コロナウイルス感染を恐れているからだろうが、マスメディアは同調圧力を持ち出して、マスク着用を人々が続ける状況を説明したりする。他人と異なる行動をして目立つことを嫌がり、多くの人々と同じように振る舞うようにさせるのが同調圧力なのだろうが、同調圧力は個人が感じるものであり、同調圧力は「ある」と感じる人には存在し、「ない」と感じる人には存在しない。

 マスメディアが同調圧力という「見えず」「客観的な検証がない」要因に頼って説明するのは、都合のよい物語を描いて現実を解釈しているだけだ。さまざまなデータを集積して分析するよりも、同調圧力を持ち出して人々がマスク着用を続ける現象を説明することができたと自己満足する。同調圧力なるものはマスメディアが都合よく利用する材料である。

 マスク着用の目的は、無症状の感染者が多く存在するとの推察から、人々の呼気に含まれるウイルスの飛散を抑制することだ(ウイルスの侵入をマスクで防ぐためには気密性の高い医療用が必要)。日本国内の累計感染者数は3200万人を超え、カウントされていない感染者も膨大にいるだろう。マスク着用の判断を個人に委ねるということは、マスク着用の目的の重要性が低下したと政府が認めたことだ。

 マスク着用を個人の判断に委ねた結果、感染拡大が起きるか起きないか。それを試す格好の場所がある。それは国会だ。現在は発言者以外はマスクを着用しているが、率先して国会議員がマスクを外して本会議や各種の委員会における審議に臨み、かつての日常を取り戻してヤジも飛ばせばいい。屋内で多数がマスクを外して「かつての日常」を取り戻した場合に、感染拡大が起きるか起きないか、国会議員は勇気を出してマスクを外して実地に検証して見せて欲しいものだ。