望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

日常化した不安

 人が不安を感じのは、①危険にさらされていると思う、②悪いことが起きると思う、③何かを失うと思う、④状況の把握ができず何が起きるかわからないと思う、⑤将来や健康などで気にかかることがあるが見通しがつかないーなど様々な状況がある。暗い夜道などで人影を怪しいと感じたりすると不安になるなど不安は日常的な感情だ。

 多くの人が同じ不安を感じると社会的な不安となる。最近では新型コロナウイルスの感染拡大が人々の不安のタネとなった。毎日、全国各地の感染者数と死者数が発表され、少しでも増加傾向があると警戒を呼びかける専門家の発言をマスメディアが大きく伝え、人々は感染拡大がまだ続いていると用心して慎重な行動になる。毎日、感染者数などが報じられるのだから不安は日常化した。

 感染者数が報じられなくなると、不安を掻き立てられる機会が減って人々は不安を忘れるのだろうか。新型コロナウイルス感染症法の「5類」に移行する5月8日から、都道府県が毎日行う死者数や感染者数の報告と公表を取りやめることを厚労省は決めた。「全数把握」から約5千の医療機関による「定点把握」に変更し、感染動向は週1回の公表となる。入院者数や重症者数の把握も定点報告となり、毎日の収集・公表はなくなる。

 感染者数や死者数の毎日の公表が行われなくなると人々は、①更に不安を強くする、②次第に不安が薄れるーのどちらかになる。マスメディアには独自に感染者数や死者数を把握する能力はないだろうから、公式発表がなくなるとマスメディアからも感染者数や死者数の報道は少なくなる。過剰に不安が煽られることがなくなって人々が落ち着きを取り戻すなら幸いだが。

 世界各国の感染者数と死者数は米ジョンズ・ホプキンス大学のサイトなどで知ることができたが、同サイトの更新は3月10日で終了した。世界で感染が沈静化したからではなく、各国から「リアルタイムに公開される情報が少なくなり、正確なデータの把握が難しくなった」からだという。中国のように政府の思惑で数字が操作されている懸念がある国もあり、データの正確さに責任が持てなくなったことも一因かもしれない。

 世界でも日本でも感染者数や死者数の公表が減ることで、マスメディアの感染者数の報道も減り、警戒を呼びかける専門家のマスメディアでの露出も減るだろうから、人々が過剰に不安を煽られることも減るだろう。とはいえ、感染の実態はぼやけ、現実に何が起きているのか見えなくなるので、新型コロナウイルスに対する人々の不安はすぐには解消されないかもしれない。

 ウイズ・コロナの日常には新型コロナウイルスに対する過剰な恐れや警戒心は不必要だろうが、現在でも日本では少なくない新規感染者が出ており、3年にわたって人々に植え付けられて日常化した不安を刺激する。「正しく」恐れて警戒するには正確な情報が必要だが、公式発表がなくなり、マスメディアからも感染情報が消える。やがて人々は新型コロナウイルスに対する不安を忘れて穏やかに暮らしましたーとなればいいのだが、マスメディアは別の材料で人々の不安を煽るだろうな。