望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

国際単位と世界認識

 この世に長さや重さ、温度、時間などに相当する何かが存在するが、それを認識し、測定するために人類は共有する単位を決めた。長さの単位はメートルで、メートル法が発展して国際単位系が形成された。国際単位には7つの基本単位があり、それは長さ(m)・質量(kg)・時間(s)・アンペア(A)・熱力学的温度(K)・光度(cd)・物質量(mol)。

 時代とともに測定精度が向上し、より精密な基準が産業の発展などにより求められるようになって国際単位の定義は精緻になった。例えば、長さの基準となる1メートルは、地球の子午線の赤道から北極までの長さの1千万分の1と定められたが、次にクリプトン86原子の橙色の波長を用いて定義され、現在の定義は、真空中で「1秒の299,792,458分の1の時間に光が真空中を伝わる距離」が1メートル。

 同様に、重さの1kgは水1リットルの質量であったが、現在は「6.62607015×10のマイナス34乗ジュール・秒(Js)」が1kgの定義。時間の単位である秒は、地球の自転を基準に1日=86400秒としたが、次に地球の公転を基準に改められ、さらに精密さが求められるようになり、現在はセシウム133原子に共鳴するマイクロ波の周期から定義している。

 温度の国際単位は熱力学温度で単位はケルビン(K)。現在では「ボルツマン定数kという基礎物理定数の値を厳密に定めることで定義」される(計量標準総合センターHP)。日常的に使われるセ氏温度は、氷の溶ける温度を0℃、1気圧の大気中で水が沸騰する温度を100℃としたもの。絶対零度はマイナス273.15℃で、絶対零度を基準としてセ氏温度と同じ間隔の目盛りを使うのが絶対温度(単位はK)。

 国際単位が存在せず、例えば、1メートルや1kg、1秒、1℃などの単位が国や地域によって異なると人々の世界認識にも影響を与え、自国の単位を当然視して、その単位の使用を他の国や地域に強要するなど19世紀的な世界観にとどまっていただろう。貿易は停滞し、人・モノ・情報が国境を軽々と超えて移動するグローバル化などは阻害されて、地球温暖化の認識や危機意識の共有などは困難だったかもしれない。

 異なる単位を使用する他の国や地域があり、自分達が使う単位は絶対的ではないと知ることで、人々の他の国や地域を見る目が相対的になる可能性はある。違いを否定的に見るのではなく、違いを知り、違いを受け入れる(=違いをなくすことはできないと認識する)ことで、異なる価値観の人々の存在を受け入れることが容易になるかもしれない。

 国際単位の共有がない世界は、国や地域により人々がバラバラの世界に暮らす世界である。それは、バベルの塔の建設を見て神が、一つであった人類の言語を混乱させて、人々が意思疎通できないようにさせて工事を中止させ、人々を離散させたとの話を想起させる。1メートルは世界のどこに行っても等しい1メートルである世界でなければバベルの塔の建設は不可能だ。

 疑似的な国際単位もある。通貨のドルはGDPをはじめとした各国経済の比較に用いられたり、原油をはじめ各国の貿易の決済に用いられる国際通貨であり、キリスト教に基づく価値観は西欧の国際的影響力と一体で世界に広まったりしている。これらの擬似的な国際単位は米国や欧米の国力が、その信任を支えている。