望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

被害者は日本人

 こんなコラムを2006年に書いていました。

 管総務相NHK短波ラジオ国際放送に、北朝鮮による拉致問題を重点的に報道するように命じたという。既にテレビや新聞には命じてあり、命令から漏れていた小さなメディアがあったということで話題になっているのかと勘違いしてしまいそうだ。それほどテレビや新聞などでは拉致問題が大々的に扱われ、目にしない日はないような状況だ。例えば、横田夫妻がどこで誰と会った、どこで講演したなどとNHKも民放も「ニュース」の中で報じる。

 飲酒運転やイジメと自殺など、メディアは一点集中型の報道を行う。しかし、1、2カ月もすると次の話題に移っていく。拉致問題だけ、いつまでも大きく扱われるのは不自然でもある。「社会一般の関心が高い」からとメディア側は言うが、メディアが連日、拉致問題関係者の動向を報道してきたから世論が誘導された面も否定できまい。

 こんなにNHKや民放が拉致問題を大々的に連日取り上げているのに、政府はなぜ、拉致問題を取り上げるように命令を出したのか。そのポイントは国際放送というところにある。日本国内では拉致問題は、日本人が100%の被害者意識を持つことのできるテーマだ。日本人は被害者意識を強く発揮することができ、北朝鮮を100%悪だとして一方的に批判していればいい。

 ところが日本の外に出ると、大量死が珍しくない。当の北朝鮮では300万人が餓死したともされ、中国では大躍進、文化大革命で数千万人、カンボジアでも300万人が死んだとされる。ルワンダでも大量殺人があり、欧州ではボスニア戦争で数十万が死んだとされる。南米の独裁政権下では数万人が行方不明にされ、イラクイラク人の死者数は明らかにされていないが、数万単位であることは間違いない。

 世界は非人道的行為で満ちている。被害者意識を自分の主張を正当化する根拠にしようとすると、日本人の拉致問題と同等かそれ以上の悲惨な被害者が世界各地にいて、アフガニスタンイラクダルフールなどでは日々新しい悲惨な被害者が生み出されている。

 そうした世界の人々に、北朝鮮に拉致された日本人の被害者意識に共感しろといっても無理だ。日本人が世界各地の、例えば、政治的な行方不明者の問題解決に積極的に関わってきたというならともかく、世界の行方不明者の問題に無関心でいたのに、日本人が被害者になったときだけ「世界の皆さん、関心を持ってください」と呼び掛けても効果はあるまい。

 日本人拉致問題を被害者意識をベースに情緒的に言い募ってみたところで、国際的には聞き流されるだけだ。政治権力による一般人の人権侵害・人道問題として世界の人々と連帯する方向で問題提起しなければ、日本人拉致問題への世界の共感も広がるまい。日本国内で「成功」したように、拉致問題の持続的報道により時の政権への支持を高められるという「成果」は国際放送には期待できまい。