望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

アナキストZXを悼む

 若い頃から「俺は野垂れ死ぬ」と公言していたZXよ。病室で家族に看取られて亡くなったことは、さて、無念だったのか、満足だったのか。病によって思うような活動ができなくなったと聞いたのは4年前だった。弱った姿を見られたくなかったのか同志や友人らの前から姿を消し、入院したことも知られていなかった。

 「野垂れ死ぬ」と言い続けながら何てざまだなどとは言わない。アナキストを自称し、公然と非公然とを問わずに内外の多くの活動に関わっていたというZXには、いつ撃たれてもいい、どこで野垂れ死んでもいいとの覚悟があったに違いない。アナキストを自称することは誰にでもできるが、アナキストとして生きることは気軽にできることではない。

 アナキストであることと野垂れ死の関係に必然性はないだろうから、野垂れ死を公言していたのは彼流の美学だった気配もある。国家権力とともに世間の常識をも否定の対象にすることを好んでいたZXだから、現代では忌避されるだろう野垂れ死を公言することが独自性の強調ともなっていたか。

 ただ、本気で野垂れ死を望んでいたとしても、人生は思うようにはいかないものだし、計算違いは人生にはつきものだ。野垂れ死ぬことができなかったとしてもZXの人生が否定されるわけではない。アナキストとしてのZXの活動については詳しく知らないが、ウイットとユーモアに富む会話をZXと楽しんだのは私だけではないだろう。

 坂本龍馬が「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」と言ったというのは司馬遼太郎の創作らしいが、ZXの「野垂れ死ぬ」も、自分の死に方ではなく自分の生き方を主張した言葉だろう。死に方で個性で主張しても、死んだ当人が得るものは死後の名声になる……はずもない。

 どう死ぬかをZXが真剣に考えていたわけではなく、不正や不平等などが横行する矛盾だらけの世の中を変えるために生きる意気を示したのだ。国家権力の廃止や個人の自由が「完全」に実現する社会を目指しても、そんな世界になる見通しは乏しい。アナキストとして生きることは、果てることなく続く闘争の場に立ち続けることであり、ZXは闘争の中で死ぬ覚悟を「野垂れ死」と表現したのだ。

 ZXよ、君の闘いは終わった。闘争の場に立ち続け、病に倒れたからといって君の闘いの価値が減じることはなく、アナキストとしての一つの生き方を全うした。「帝力、なんぞ我にあらんや」と信条としてのアナキズムは多くの人が持つだろうが、アナキストとして、それも公然とアナキストを主張して生きるのは、ひよわることが許されないという縛りを招く。君はアナキストとして生き、アナキストとして死んだ。