望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

成功か死か

 「革命家には成功か死しかない」とゲバラボリビア人の若者に言う。その言葉は、映画の大枠を示すものでもある。パート1である「チェ 28歳の革命」は、成功した革命家を描き、パート2である「チェ 39歳別れの手紙」は、革命家の死を描く。



 成功した革命とは何だろうか。腐敗・堕落し、外国の権力・資本と結びつき、軍事力・警察力で抑圧的な独裁的体制を続け、選挙をまともに行わず、民衆のことをないがしろにする政府……そんな政府を打倒するには暴力が必要になることもあろう。バチスタ政権を打倒したところで、革命は成功だった。



 しかし、成功した革命は、革命後の体制の成功を保証するものではなかった。それはキューバだけで起こったことではないし、また、クーデターという別種の暴力による体制転覆にもあてはまることである(クーデターで政権を打倒しても、その後の軍部政権が成功することは少ないように見える)。おそらく、日常である日々の政治と、非日常である革命やクーデターでは、関与する人々に要求される資質が異なるのだろう。



 「レボリューショナリー・ロード」という映画も09年に公開されたが、こちらはキューバ革命の少し前のアメリカで、都市郊外の一軒家に住む中産階級の若夫婦を描く。大手企業に勤める夫は毎朝、自家用車で駅に行き、列車に乗りかえて会社に行くが、仕事には飽きを感じている。妻は2人の子供を育てる専業主婦。しかし、女優を目指したことのある妻は日常に倦んでいる。



 同じ時代に、キューバでは革命が必要な状況にあり、アメリカでは中産階級が豊かな生活に倦んで、生き甲斐を探し始める……キューバ革命前までは親密な関係にあった両国だが、「日常の豊かさ」には大きな隔たりがあった。



 革命家にとっての死とは何だろうか。ゲバラの死は語り伝えられるが、はるかに多数の革命家が世界各地で死んで行った。死にたくないなら革命闘争には最初から加わらないだろうが、死にたいからと革命運動に加わるはずもない。死の可能性が増すのを承知の上で、参加する……覚悟を決めて自分の生き方を選択した人間の「輝き」めいたもの、そこに混じる恐れや悩み、苦しみ、卑小さなど、それらが革命家を魅力的に見せるのかもしれない。