望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

占いと運命

 例えば、星座占い。1年を12に分けているが、日本の人口を12等分すると、それぞれ1000万人強になる。すると、例えば水瓶座の1000万人の人々が、同じ月の同じ日に同じような運命にあるということになる。中には、おみくじよろしく、異性運やら金運やら仕事運やら細かく書いてあるものもあって、同じ日に同じような体験を1000万人がしている? そんなばかな。

 例えば、手相占い。運命線やら生命線、頭脳線のほかにもいろいろあって、その人の運命を物語っているそうな。手の平を見て、「この線からそんなことが読み取れるのか、こっちの線にはこんなことが書いてあるのか」と不思議な気になるが、運命というものがあったとして、それがなぜ手の平に記されていなければならないのか。

 手相占いについては簡単に検証できる。ある人間の手相を占ってもらい、その人のその後の人生を対比させて、占った通りだったとすれば手相見の先見性は明確にアピールできるはずなのに、21世紀の今日まで手相見がそんなことをしないのは、手相とその手の持ち主の人生には関連などないからだろうな。

 例えば、人相占い、カード占い、八卦見、おみくじ……。占いは数々あれど流行り廃れもあって、時代の気分に乗ったものがウケる仕組み。運勢なんて誰も信じてはいまいが、運勢がいいねと言われると楽しくなるのは誰でも同じ。ゲームの一種として楽しみこそすれ、真剣に受け取る人はいない。

 逆に言うと、もしも運命があるとして、自分の運命に直面する勇気のある人がそう多くいるのだろうか。運命を本当に予知できる占い師がいたなら、その占い師は多くの客を期待できないかもしれない。