望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

変化と生活保守主義

 こんなコラムを2003年に書いていました。

 経済が縮小する中で、貧富の差が拡大し、大量の首切りが行われて失業者は増大(中高年のみならず、20代では潜在的失業率は14、5%になるとか)、少数の“勝ち組”以外は“負け組”とされ、1億総中流幻想はまさしく幻想となった。一方では対米従属戦争への備えも進み、この国の姿はここ数年で大きく変わった。

 何がこの変化を支えているのか。

 第1に、生活の不安から来る生活保守主義の強まりがある。巨額の赤字を抱える政府が増税や公共サービス切り捨て、更にはインフレ誘導に向かうことを見通している人々は少ないかも知れないが、いつ失業するか、自分がもらえるまで年金は大丈夫なのかーなどの経済的な不安感がある。金持ちにはなれなくとも、現在の自分の生活だけは守りたいとの意識が強くなった。

 第2に、多発するピッキングなどに代表されるように個々の生活の場が安全ではなくなったとの意識がある。さらには北朝鮮のミサイル発射という漠然とした危機意識の扇動もあって、安全面での生活不安が助長された。

 第3に、大量の首切りや成果主義という名の個人間競争の奨励により、企業への所属意識が薄れ、その代わりの帰属意識の対象として国家が選ばれた。犯罪や北朝鮮から自分の生活を守ってほしいとの依頼心もある。そのため国家主義的な政治家の言動にも批判的な反応が薄れた。

 経済大国ニッポンとの誇りもなくなり、深刻なデフレ不況の中、社会の一体感が希薄になり、個人個人がばらばらになって、それぞれの生活防衛を最優先する。そのため、社会の方向性が失われ、政治家らのいいように政治が行われているのが現在だとの見方もできる。そうなると、現在は日本における民主主義の危機である。生活保守主義は民主主義に優先する?