望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

みんな一緒

 こんなコラムを2005年に書いていました。

カトリーナ「2大政党が交互に政権を担うようになるのが理想であるかのように言われてきたけど,本当かしら? 2大政党化は主権者の選択肢を狭めているだけじゃないの?」

リタ   「民意をより反映できる選挙制度だったら,今ごろ国会では多くの政党が連立の組み替えで政権争いをしていたかもしれない。それを混乱と見るか、民意の反映と見るか。外交では対米追従なのに,日本の国会までアメリカを真似て2大政党にならなければならないのかしらね」

カトリーナ「2大政党といっても、政権選択を突きつけられると不安になる主権者も多いらしくて,今回の選挙でも安定を重視して自民党に投票したと言う声が結構あった。自民党への支持というより生活保守主義の勝利、逆に言うと生活への先行き不安が根強いということかしら」

リタ   「その生活の先行き不安をもたらした責任が、どの政党に一番あるかを考えれば,投票行動も変わってきたのにね。でも、2大政党のイメージに縛られて一方的に損したのが民主党。政権党批判の野党に徹しきれず,中途半端に政権担当能力を示そうとして自民党と同列にと背伸びしたものの、足元のあやふやさが丸見えになってしまった」

カトリーナ「生活保守主義自民党だけに関係するものではない。社民党などの、いわゆる護憲政党への支持も生活保守主義の表れといえるんじゃない? 自衛隊が海外展開するようになった現実から目をそらし、『憲法9条を護れ』と言って誤摩化している。現実追認をする必要はないけど,制度としてもう空洞化している憲法を『護れ』という主張に何の意味があるのかしら?」

リタ   「護憲を保守しているってところね。広範な生活保守主義を取り込んだ自民党が安心して『改革』を主張するのと対照的。いつごろから護憲が時代に遅れたのかしら?」

カトリーナ「70年代。敗戦後の貧しさをバックに体制批判政党は勢力を拡大したのだけれど,高度成長を経て徐々に生活水準がアップし,貧しさは相対的なものへと変質した。そこで政権批判勢力・政党は軸足を護憲に移したというわけ。60年代にはまだ体制の変革が争点になったけれど,多数がそこそこ『豊か』になった70年代には、労働者だって『豊か』になった生活に基づく生活保守主義に取り込まれた」

リタ   「つまり護憲も,現在の生活を変えたくない,脅かされたくないという意識から出ているというわけね。確かに戦争は生活を破壊するから、その感覚は正しいのかもしれないけど,護憲にすがっていて本当に生活を護ることができるのかしら?」

カトリーナ「つまり、自民にしても反自民にしても生活保守主義にとらえられ、変革・改革すべきことから目を逸らしているってところかしら」