望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

選挙は政権選択

 例えば、候補者が公約として掲げる「経済を再生し、賃金アップと雇用拡大」とか「消費税ゼロ」、「出産無償化と教育無償化」、「ガソリン税ゼロ」、「最低賃金は時給1500円」、「高3までの全ての子供に児童手当15,000円」、「年金削減ストップ」などの主張に反対する人は少ないだろう。一方、これらの公約の実現可能性が非常に低いことも多くの人が知っている。

 今年の公約にはロシアのウクライナ侵略を受けてか、安全保障の強化を主張する文言が並び、「積極防衛能力を整備」とか「領海警備・海上保安体制強化法を制定」、「国防費はGDP比3%以上」、「自分の国は自分で守る」、「日米同盟を基軸に抑止力・対処力を向上」、「竹島尖閣諸島侵略への軍事的対抗」などと勇ましい。一方、「軍事費2倍にキッパリ反対」や「外交の力で沖縄・南西諸島を戦場にさせない」などもある。

 公約には「希望がもてる日本に」や「平和のために正義を実現」、「国民の不安を取り除き、安心を届けます」、「強い日本を取り戻す」、「暮らしを守る」、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」、「もっと良い未来」、「正直な政治」、「身を切る改革」などの文言もあった。これらはキャッチコピーだな。

 「希望」や「正義」「不安」「強い日本」「守る」「外国勢力」「もっと良い」「正直」「身を切る」などの文言が意味するものは、人によって異なる。投票した人がイメージするものと、候補者がイメージするものが一致するとは限らない。かつて多くの政党や候補者が「改革」を公約したが、いまだに「改革」を公約に掲げる候補者や政党が多いのは、改革の意味するものが不明確なことも関係している。

 さらに、候補者が掲げた公約を実現するためには、国会で法律を成立させなければならない。法を成立させるためには国会で賛成者が過半数に達することが必要だ。つまり、過半数に達しない議員数の政党に所属する候補者が、どんな公約を掲げようと実現可能性はない。少数政党に属する候補者が掲げる公約は「言いっぱなし」の言葉で、おそらく本人も実現可能性がないことを承知していよう。

 今回の選挙には15政党が参加したが、うち5政党はそれぞれ得票数が20万票未満で当選者はゼロだった。そうした政党の公約は政治団体などのPRとも見え、選挙を自己主張の機会とする活動だった気配だ。こちらも「言いっぱなし」の公約だが、おそらく主張を公約に仕立ててを衆目を集めることが目的だろうから、実現可能性は初めから考慮していまい。

 選挙で有権者は候補者や政党の公約を比較して投票先を決めるーとする考えがあるが、それが日本の政治の硬直化を招いている。選挙は、それまでの政権与党に対する審判であり、それまでの政治に満足するなら与党に投票し、それまでの政治に不満なら野党第1党に投票する。それが選挙の意味であり意義である。

 候補者や政党の公約をいくら比較検討したところで、野党の公約の実現可能性はほぼないのだから、無駄な行為だ。選挙は政党の選択ではなく、政権の選択である(いわゆる政権担当能力が弱い野党を育てるには、野党に政権を担当させて経験を蓄積させるしかない。野党政権による混乱は日本の民主主義を強めるための代償だ)。