望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

穴を穿つ努力

 以前の野党だった頃、自民党とは異なる政治の方向性を示しつつ、厳しく自民党政権批判を繰り広げていた民主党。政権党になったなら、自民党政治の歪みを是正し、庶民の視線で政治を行い、庶民に寄り添った政治の実現に向かって一歩前進するのではないかと、わずかながらも期待したのだが、民主党政権の実態は自民党政権の延長でしかなかった。



 民主党自民党化した一方、野党になった自民党が「性根」を入れ替えて、庶民に寄り添う政党になる……はずもなく、政権批判と審議拒否だけは立派?かもしれないが、「頼りにならない」感は以前の野党並みだった。二大政党制になれば、政策本位の政権交代が定着し、政治が機能的になるとの説は破綻した。



 こうなると既成政党に不満を持つ人には投票先がない。欧州では極右、極左が、そうした不満の受け皿になるが、日本には極右の政党はなく、極左もない。共産党社民党も硬直した既成政党であり、イデオロギーをまだ振り回すところは極左じみてはいるが、新たな時代を切り開く印象よりも、古い時代を引きずっている印象のほうがはるかに大きいのだから、救いがない。



 既成政党は全部ダメだと、例えば、維新の会など新興政党への注目が高まり、全国で新人が選挙で勝って国政に進出するとマスコミはもてはやす。でもね、現職の政治家は無能なヤツばかりだったとしても、在野に有能な人材がゴロゴロいて、そんな連中に政治をやらせてみれば、素晴しい議会になり、素晴しい政府になる……はずもない。民主党のかつての新人らのように、国会に行っても埋没するだけだ。



 革命ではないのだから選挙による政権交代では政治の継続性は重視される。だから民主党が政権をとっても自民党化してしまったのは、ある程度はやむを得ない面もあるが、従来の自民党政治からの脱却をしないのなら政権交代の意味はない。立憲民主党に求められているのは、実務を担う官僚と既得権益層の強固な壁に、それでもと穴を穿つ姿勢や努力だ。



 ただ、そんな力はもう立憲民主党にも自民党にも他の政党にも、ないのかもしれない。政治家そのものが既得権益層となり、維新の会に人が集まったのも、既得権益層に入ろうとする人々の欲の現れでしかないと見える。そうなると、日本の政治の閉塞状況を打ち破るのは、政治にしがみつかず既得権益化しない政治だ。例えば、「気分はアナキズム、希望もアナキズム」。