閣僚を歴任した自民党の故・渡辺美智雄氏は放言癖があり、何度も舌禍事件を起こした。放言の一つに、野党の支持者を毛針で釣られる魚に例えたものがあった。税金を下げるとか医療費をタダにするとか野党はうまい話ばかりだと批判し、「毛針で釣られる魚は知能指数が高くない。愚か者が増えると国が滅びる」と演説した。
自民党は「ちゃんとエサをつけている」とし、エサに食いついて釣られる魚よりも、毛針で釣られる魚のほうを知能指数が高くないと主張した。魚の知能指数をどうやって計測するのか不明だが、エサでつられる魚も毛針でつられる魚も釣り上げられたことは同じだ。エサに食いついた魚を知能指数が高いと褒めるのは、自民党の支持者に対する媚びだな。
支持者の知能指数を政党別に判定できる仕組みがあれば、日本の政治を分析することは簡単だが、そんな仕組みは存在しない。選挙の時に支持者に向けて「おいしい」公約を並べるのは野党に限ったことではない。現在の与党の自民党が発表した公約も、おいしい話に満ちている。
自民党HPによると、「感染症から命と暮らしを守る」「新資本主義で分厚い中間層を再構築する」「農林水産業を守り、成長産業に」「日本列島の隅々まで活発な経済活動が行き渡る国へ」などと並べられ、現在の日本の問題点に対応しているように見える。だが、それらの問題点を生じさせたのは、これまでの与党の政策であったことを思い出すと、何やらマッチポンプの典型だと見えてくる。
こうした自民党の公約は、毛針ではなくエサがついた針なのだろうか。エサがつこうと毛針であろうと、釣られた魚は調理されて食われるだけだ。食うのは、魚を釣った人=政党であり政治家連中だ。つまり、魚の知能指数が高かろうと低かろうと、釣られた魚は釣った人らに食われる。釣った魚にエサを与えて飼う釣り人はほとんど皆無だ。
エサがついていようと毛針であろうと政党が掲げる公約を、まき餌だと見る人もいる。各政党の確固とした支持者を養殖された魚とすると、無党派層は自由に海中を泳ぎ回る魚だ。それらの魚を釣り上げるために、まき餌で魚を集める。うまい話ばかりを並べた公約を各政党は掲げ、無党派層という魚を集めて釣果を上げることを狙う。
選挙は主権者による政権選択の機会だとする考えがあり、選択の判断材料として各政党の公約が重視されたりする。だが、おいしい話ばかりの公約を熟読玩味したところで、公約の実現可能性は低い。
選挙は、それまでの与党に対する主権者の審判である。それまでの与党の政治を支持するなら与党に投票し、それまでの与党の政治に不満があるなら野党第1党に投票を集中する(政権を交代させるには野党第1党を勝利させなければならない。政権批判票の分散は与党の勝利を助ける)。政権選択とは、それまでの与党の政治を続けるかどうかを選ぶという意味だ。