望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

極右政党


 1999年は、大きな出来事が起きた年だった。1月には欧州単一通貨(ユーロ)が導入され、3月には国連安保理決議なしにNATO軍がユーゴスラビアへの空爆を行い、12月にはポルトガルマカオを中国に返還し、アジアから西欧諸国の植民地がなくなった。そうそう、4月には米のコロンバイン高校で男子生徒2人が銃を乱射し、13人が死亡した。



 それから10年さかのぼった1989年は、世界史に特筆されるような大きな出来事が起こった年だった。1月には裕仁天皇が死亡、2月にはソ連軍がアフガニスタン撤退、5月にはハンガリーオーストリア国境のフェンス撤去、6月には天安門事件、11月には東独が西独との国境開放(ベルリンの壁解体へ)、12月にはマルタ島で米ソ首脳が冷戦終結を宣言、また年末にはルーマニアチャウシェスク独裁体制が崩壊した。



 天安門事件が起き、ベルリンの壁が無意味になり、米ソが冷戦終結を宣言し、東欧各国で全体主義体制が続々と崩れ始めたのが1989年だった。欧米を中心に多くの人が当時、冷戦終結後の世界に期待したのだろうが、さて現在、冷戦時代に比べて、どれほど「立派」な世界になったのだろうか。



 例えばドイツ。旧東ドイツは急速に資本主義経済に巻き込まれたが、賃金水準は旧西ドイツより低く、西では今でも旧東ドイツに住む人に対する蔑視があるともいう。こんなはずではなかったと、旧東ドイツでは旧体制時代を懐かしむ動きがあるとか。



 満足な職に就けず、生活が不安定な若者は、移民排斥などを主張する極右勢力に取り込まれたりする。ドイツでもそうした動きは顕著で、トルコ人などが襲われたりした。ドイツに限らず欧州各国議会では、極右政党が一定の支持を得て議席を持っている。



 89年の冷戦終結以降、米ソのイデオロギー対立の次には民族主義が台頭するのではないかなどと盛んに議論されたが、その種の議論から抜け落ちていたのが、それぞれの民族主義に対する検証。民族主義イデオロギーではないし、厳格な民族の定義・検証があるわけでもなく、不満を行動の形で現したいという人が集まりやすい大雑把な概念で、極右勢力と結びつきやすい。



 そうした極右政党の姿が見えないのが日本とアメリカ。どちらも格差が大きい社会で、若者をはじめ失業者が多く、ワーキングプアやホームレスなど社会から「見捨てられた」人々も多い。不満は鬱積しているはずなのに、極右などの形で政治的に表れない。



 2大政党制が定着し、選挙に巨額の資金を要するアメリカでは、鬱積した不満は弱小の極右などに組織化されず、個人が銃を乱射するなどの表れ方をするのかもしれない。日本では過去に右翼テロの「伝統」があるが、テロは議会軽視の発想であるせいか、極右政党は表れない。



 欧州で極右政党は、社会に不満を持つ若者などに訴えやすい移民を仮想敵に仕立て上げる。日本では移民はまだ「見えない」存在だが、どちらかというと開放的な社会ではないようなので、移民が増えれば、移民排斥を訴える極右政党が現れるかもしれない。反中感情やら反韓感情やら「土台」は醸成されているようだから。