望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





「紙の時代」の終焉

 新聞発行業が斜陽産業だとしばしば論じられるようになった。ネットの活用以外に新聞の生き残る道はないのだが、及び腰の試行錯誤が各社で続いている。ネットでの収益モデルの構築ができず、海外の動向を眺めながら、新聞社内の中高年層は「自分の定年までは、紙の新聞はもつだろう」と見ているのかも。



 「ネットの活用が増えても、紙の新聞を読みたいという需要は存在し続ける」という声もよく聞くが、紙の新聞を読む習慣のある世代が徐々に、ネットで育った世代と入れ替わった時、紙の新聞は急速に部数を落として行くだろう。ニュースはグーグルなどでチェックすれば十分……これが基本スタイルとなる。



 新聞では、広告が取りやすい事情からか、エコをテーマにした企画ページをよく見かける。一方で大量の新聞を発行することにより、紙を大量消費している。つまり大量の森林資源を消費している。樹木を伐るのは悪だというような狭量なことを言うつもりはないが、エコをきれいごととして謳い上げる新聞社としては、森林資源への配慮が必要となるだろう。



 事業システムの変更を迫られているのは新聞社だけではない。紙にインクで印刷して、刷り上がったものを売るというシステム自体が、ネットの普及により、新しい展開を迫られている。わかりやすい例が音楽。聴きたい曲だけをダウンロードして聴くというスタイルが普及し、CDの売り上げが落ちた。「iTunes」などになじんだ世代が多くなるにつれ、音楽はダウンロードして聴くスタイルが主流になって行く。



 新聞、雑誌などを含め出版業も同じような道をたどりそうだ。読者は、読みたい記事を新聞社や雑誌社のサイトにアクセスして読んだり、出版社から「本」をダウンロードして読む。紙の新聞、雑誌、本がなくなることはないだろうが、「印刷物」の流通の主役はネット空間に移り、書店(古書店も)は「マニア」の集う場所と見なされるかも。



 読者にとっては、読みたい記事だけを読むことができ、地方の読者も雑誌などを東京での発売日に読むことができ、大量にたまった本の処分に悩むこともなくなる。送り手側の最大のメリットは、印刷・流通・配達の経費を削減することができることだ。ついでに森林資源保護やCO2削減努力をアピールすることもできるようになる。



 ネックは、何で読むかということ。新聞、雑誌、本の携行性と、すぐに読むことができる手軽さ、紙上の文字の読みやすさなどを備えることが最低条件となる。電子ブックなどの専用端末か、スマホかノートパソコンということになりそうだ。



 さて、それまでの時間を新聞社、雑誌社、出版社は有効に使うことができるのだろうか。アメリカでネットへの移行が主流になってから、日本も追いかけ始めるというパターンになりそうな気がする。