望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

やっつけで公約づくり

 突然の解散・総選挙に直面すると各政党は公約づくりを急いだりする。選挙のたびに「さあ、どうだ」とばかり振りかざされる公約だが、すぐに忘却される。というか、そもそも読む人がどれだけいるのか。民主党が政権を取った総選挙では、マニフェストがウケたようだが、政権を取った民主党は迷走。あれで、マニフェストなるものの信用はすっかり色褪せた。



 前回の総選挙で各政党が何を公約としていたのかを覚えている人は、どれほどいるのだろうか。こういうときこそマスコミの出番で、前回の総選挙時の各党の公約と、その後の議会での行動を照合して検証した記事を期待したい。



 政党には公約がつきものだが、公約なしで誕生した政党も珍しくない。どこかの政党に属して当選し、議員になった政治家らが所属政党を離脱して作った新党。そんな政党は理念で離合集散したわけでもないだろうが、総選挙では公約を掲げなければ格好がつかない。そんな新党は公約をでっち上げ、いや、作成しなければならないから忙しそうだ。



 公約が、政党と主権者の契約書のような役割になり、選挙で掲げた公約に政党・政治家がきつく縛られるようになると、日本の政治は変わるかもしれない。ただ、そうなると保険の約款のように政党の公約は、可能性のある政策はすべて網羅して記載し、書き漏らすことがないようになるだろう。ますます、読まれなくなりそう。



 常在戦場と政治家は口にしたりするが、突然の選挙となると、政党は慌てて公約をつくり出そうとする。常在戦場の戦場とは政治家にとっては選挙のはずだが、そんな政治家が集まった政党なのに、常在戦場に対応できず、選挙のたびに泥縄式に公約を用意するというのなら、常在戦場は言葉だけ。公約も言葉だけなら、釣り合いは取れている?



 政治家も政党も基本理念をしっかり堅持しているが、具体的な政策は、世の中の変化に合わせて打ち出さざるを得ないのだから、選挙のたびに公約は新しく作る必要があるとの見方もある。が、本当にそうなら、次々と弱小新党が誕生したり、政党を移り変わる議員はいないはずだ。政治家に主権者と共有する理念がないのだとしたら、泥縄式のウケ狙いの公約が似合っているのかもしれない。