望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「大谷1安打」

 駅の売店では「大谷1安打」などと赤で大きく書かれたスポーツ紙や夕刊紙のチラシがあったりする。どんなにすごい出来事かと思うと、これが、ただヒットを1本打っただけ。優勝を決めたわけでもないし、その試合の勝利を決めたヒットでもなく、ヒットを打ったということでしかない。テレビも同様、毎日のスポーツニュースでは必ず「日本人メジャー選手の活躍」コーナーを設けて、各局同じ映像を流し、コメントも似たり寄ったり。

 野茂やイチロー、松井らがメジャーに挑戦することを日本人の多くは応援した。彼らのメジャーでの活躍に関心を持つ人は多かったのだろうが、ヒットの1本、2本にいちいち大騒ぎすべきなのか。

 おそらくマスコミ側は、そんなに連日大騒ぎすべき“ニュース”ではないことを知っているが、「大谷1安打」と大々的に扱ったほうが売れ行きがいい、視聴率がいいということだろう。売れ行きの話を持ち出されると「スポーツジャーナリズムは云々」という原則論は脇に押しやられ、「大衆が読みたがっているものを提供するのがマスコミの使命だ」などという営業的判断が優勢となる。大衆が読みたがっているのは「大谷1安打」だけなのか。ほかに選択肢が提供されていない現状では大衆は「大谷1安打」を読むしかない。

 メジャーという檜舞台で野茂、イチローらの日本人選手が活躍し、日本人の多くは喝采を送った。二刀流で大活躍する大谷選手にも日本では大絶賛が続き、各社の取材体制が組まれてしまったため、何かの記事を記者は毎日送ることを強いられ、日本では「大谷1安打」という大見出しやスポーツニュースになっているのかな。