望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





確率は50%


 あなたの前に二つのドアがあり、一方のドアを開けると、部屋いっぱいに黄金があり、もう一方のドアは、開けても何もないとする。選んだドアを開けて黄金があったなら、すべてがあなたのものになる(黄金を得る確率は50%)。さて、あなたはどうするか。選んだドアを開けて黄金があれば、あなたは大富豪になり、黄金がなかったとしても、損はしない。ガッカリするだけだ。



 ドアを開けることに何の条件もないなら、誰でも、ドアを選んで開けるだろう。失うものはないのだから。ところが、そんなドアはなかなかない。



 例えば、ドアを選び、開けることができる条件として「30年間、身を慎んで真面目に働くこと」とあれば、あなたはどうするか。30年後に、期待して選んだドアを開けても、黄金があるとは限らない(確率は50%)。



 真面目に働くことに意義を見いだすことができる人なら、黄金がなくても、自分の真面目に働いた30年を受け入れるかもしれないが、黄金目当てに、遊びたいのも我慢して真面目そうに働いた人は怒り出すかもしれない(そんな人物が、30年も真面目そうに働き続けることができるのかという疑問はさておいて)。



 これは、30年間をどのように生きるかという選択の問題でもある。黄金を手に入れる確率50%は、ギャンブルや宝くじなどよりは当たる確率は高いが、30年間をそのために賭けるのは決心がいることだ。30年間は人の一生にとって短くは、ない。



 黄金でいっぱいの部屋のドアを開けることができたなら、自分の30年は黄金に値したと考えることができようが、確率は50%……ドアを開けて黄金がなかったなら、自分の30年は黄金に値しなかったのかと悔やみつつ、人の生きた年月は黄金でだけ評価されるものではないと自分を慰めるしかない。



 確率50%は、例えばタレントやスターになる確率よりは高いだろうし、社長になる確率や起業して成功する確率よりは高いかもしれない。画家や小説家になる確率より高いことは確かだろうし、キャリア官僚となって天下りを繰り返して一財産築く確率より高いかもしれない。



 黄金があろうとなかろうと、人は生きて行かなければならず、好きなことだけをやって生きていくことのできる人は少ないので、多くの人は真面目に働かねばならないだろう。



 時間は戻らない。黄金を得ることができたとしても、その黄金で30年を取り戻すことはできない。30年間真面目に働いて、黄金を得ることができるかどうかは運次第だとすれば、運命の気まぐれとも不条理とも解釈できるが、偶然の出来事が積み重なって、この世ができているのだとすれば、確率50%は「賭ける」価値があるのかもしれない。