望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

偶然と解釈

 例えば、「流れ星が消えないうちに願いごとをすると願いがかなう」とか「茶柱が立つと縁起がいい」などの俗信がある。流れ星も茶柱も珍しくはないが、滅多に遭遇しない出来事だから、吉兆とされ、願いとか縁起などと結びつけられた。それらの吉兆には確かな根拠がないことを皆知っているが、俗信は生き残っている。

 流れ星と願いがかなうことにも茶柱と縁起がいいことにも因果関係はなく、吉兆だとするのは解釈にすぎない。流れ星や茶柱を不吉な前兆だと解釈することもできるが、そうした解釈は広まらなかった。不吉な前兆としては「黒猫が前を横切る」がある。これは西洋の迷信が伝わったもので、昔の日本では黒猫に対する特別視はなかったという。

 滅多に遭遇しない偶然の出来事に何らかの意味を付与して解釈したのは、偶然の出来事を特別な出来事と見なしたからだ。特別な出来事にすると、そこには何らかの意味があると考えることができる。ただし、具体的な根拠はないので、運命や神など検証不能な何かを持ち出したり、幸運などと結びつけて体裁を整える。

 特別な意味がないものに特別の意味を付与することは広く行われている。意味を付与することは、その出来事を解釈することであり、それぞれの物語ができあがる。学術的な解釈には客観性が求められるが、世間で広く行われている解釈には客観性が希薄でも容認されるから、何にでも意味を付与することができよう。

 吉兆を求める行為に、おみくじをひくことがある。おみくじに運勢判断を委ね、大吉をひくと大喜びし、小吉などをひくと物足りなそうに引き下がる。凶を求めておみくじをひく人はいないだろうが、運勢の波があるとすれば凶もあって当然だ。凶が出ると再度おみくじを引き直す人もいたりして、運勢判断を求めながら、ひいた運勢判断を拒んだりもする。

 おみくじの運勢判断に一喜一憂するのは、日常の小さなイベントだ。大吉をひいた人は良いことが起きると期待し、凶をひいた人は心を引き締める。偶然手にしたおみくじに自分の運勢が記されているという演出が、おみくじの御託宣の効果を高める。おみくじを見て「そういう解釈もある」などと冷静な人でも大吉には喜んだりする。

 人間の力が及ばない偶然に対して人の対応は①事実として認識できることを受け入れる、②解釈して意味を付与するーに分かれる。偶然に人は無力だが、解釈して意味を付与することで偶然を人の秩序に組み入れることができる。おみくじは偶然を利用して、御託宣に権威を持たせる仕組みであり、人々は偶然に運命などの作用が働くと見て、おみくじを楽しむ。