望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

人生の意味

 「人生には意味はない。だが、生きることには価値がある」とは友人の言葉。人生には台本はなく、その場しのぎの連続で誰もが行き当たりばったりに生きるしかないと友人は言い、無数の選択の結果として個人の人生は形成されるのだから、人生に意味を感じたり見いだしたりする人もあろうが、その意味とは当人らの解釈でしかないとする。

 だが、「生きることには価値がある」とするのは、人は誰でも地球上でただ1人の存在だからだ。30数億年前に誕生した単細胞生物の一つから始まった生命のリレーが続いて誕生した1人の人間。無数の偶然の結果として誕生した1人の人間が生きることは貴重なチャンスであり、生命のリレーに加わって、生きているだけで価値があると友人。

 人生に意味があるとする考えは、人生を肯定するために欠かせない。だが、自分の人生を肯定するために自分の人生の意味を求めることもある。何らかの意味を付与することで自分の人生を肯定する心境に至るのは個人の自由だから、人生の意味は主観で判断するしかない。傍目には否定的に見られようと、本人が満足しているなら、その人生には意味があったことになる。

 例えば、特筆することがない平穏な一生であっても満ち足りた人生だと評価することもできるし、何らかの業績を残したことを人生の意味とすることもでき、子や孫に生命のリレーを繋いだことに満足することもできる。自分以外の誰かを幸せにしたと思えるなら満足できる人生かもしれない。

 人生の意味を主観で判断するのだから、意味がある人生と意味がない人生に分かれよう。意味がある人生だとする人は何らかの達成感や満足感を自分の人生に感じるだろうし、意味がない人生とする人は後悔や慚愧の念に覆われているのかもしれない。大量殺人などの犯罪者らは責任を問われて罰を受けようが、その人の人生まで否定されるものではないから、意味がない人生だと他人の人生を決めつけることはできまい。

 人生の意味とは人生の評価であるが、評価基準は確固としたものではなく、人によって時によって揺れ動く。おそらく自分の人生を受け入れている人は自分の人生に意味があると感じるだろうし、自分の人生に不満を感じている人は意味があるとは感じにくいだろう。人生の意味とは人生の装飾品の一つに過ぎないと見れば、意味の有無にこだわることもない。

 「意味がある人生も意味がない人生も、生きるに値する」と友人は言い、人生の意味と人生の価値は別物で、意味と価値を混同するから、人生の意味に過度に重きを置いたりするのだと主張する。楽もあり苦もある人生は「楽しんだ者の勝ちだ」と続けて友人は、人生は全てが特注品で一人一人が個別に形成するものだから、全ての人の人生が特別なのだとする。