歌舞伎の「熊谷陣屋」で、源氏の武将の熊谷直実が主君・源義経から与えられた「一枝を折らば一指を切るべし」という桜の木の横に建てられた制札は、枝を折るなとの禁令だが、実は隠されたメッセージだった。それは敵の16歳の平敦盛を捕らえても殺さず、直実の16歳の子を身代わりに斬れとの意味だった。
熊谷直実は苦しみつつ、敦盛を生かして自分の子どもの小次郎の首を討ち、首実験のために源義経が現れた時に直実は制札を引き抜き、義経に示しながら敦盛(実は自分の子どもの小次郎)の首を見せ、忠義を優先させて子への愛を抑圧した苦悩をにじませる。義経はその首を見て「敦盛の首に相違ない」という。
現代の価値観では、主への忠義を優先させて我が子さえ殺すという設定は全く共感されないだろうし、許されもしないだろうが、そういう価値観が称揚される時代が過去にあり、また、そういう価値観が重視される時代があった(おそらく、そういう時代にあっても忠義のために親が子を殺すのは特異な出来事だっただろうし、忠義の優先は支配のためには便利だっただろう)。
この「一枝を折らば一指を切るべし」という言葉を少し変えた「一枝を得らば一指を捨つべし」を心掛けている友人がいる。彼は、自分の衣類や家具、書籍、CD、電化製品など持ち物は必要なものだけを残して整理し、新たに何かを購入した時には、所有していた中から何かを処分することを基本にしている。
所有物を増やさないという生き方は、消費社会に背を向けているようにも見えるが、「必要なものや欲しいものは買う。消費を否定しているのではなく、所有物を増やさないことが目的」と友人。流行りの断捨離に影響されたとも見えるが、彼はミニマリストと一括りにされることを拒み、家族には所有物の整理に同調することを求めていない。
捨てることが目的ではなく、着ない衣類や読まない書籍、使わない家電など身の回りに澱のように溜まった品々を遠ざけたいのだと友人(大きな家ならば屋根裏か地下室にでも放り込んでおけばいいのだが)。使用されない品々が溜まることに対する一種の後ろめたさもあって、整理し、所有物を増やさないことにしたのだという。
捨てる行為は、自分に本当に必要なものを明確にすることでもある。所有物を減らすと生活がシンプルになったと見えるようで、精神にもいい影響を及ぼすと友人は満足している。消費を我慢したり諦めたりせず、消費する快楽は維持しながら、しかし所有物を増やさない生活は選択を繰り返す生活であり、変化の渦中に居続ける生活に見える。
熊谷直実は源義経に暇乞いを願い出て許されると、墨染の衣をまとって我が子の死を嘆きつつ去っていく。その時に吐き出す言葉が「十六年は一昔、夢だ夢だ」。整理して捨てたモノに未練を残さないので友人には、失ったことを「夢だ」と嘆く品物はないという。