望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





変質した時代劇

 最近では時代劇映画は数少なくなり、テレビでも長寿番組「水戸黄門」が2011年で終了、時代劇を見かけることは少なくなった。時代劇というと侍が主役となり、様々な葛藤があって、最後はチャンバラでケリがつく構成が多いようだが、それだけではなかった。特に映画では人情物や世話物など時代劇が描く世界は幅広く、町人、農民らが主役の時代劇もあった。



 昔は時代劇の人気が高く、そのために時代劇で様々な人々を描いて来たのだろう。映画やテレビから時代劇が減ったのは、何でもかんでも時代劇の世界に押し込まなくても受け入れられるようになり、現代劇の世界が拡大したためかもしれない。時代劇は今や、侍の世界を描く時のみに使われる設定になったのかも。



 これは時代劇が「純化」されたともいえるが、時代劇が、幅広いドラマファン対象から時代劇ファンに向けて制作されるものに変化したともいえる。それは、視聴者が時代劇ファン中心に縮小したということでもある。



 一方で時代劇の魅力はチャンバラ=活劇であったが、現代劇でも暴力が登場し、SFではCGを駆使して圧巻の乱闘・戦闘シーン等が珍しくなくなった。CGを駆使したり、チャンバラをリアルにしたところで、時代劇ファンは増えるはずもない。立ち回りは時代劇の専売特許ではなくなった。それではと、侍を主役に忠義を描いたりしても、「個人を犠牲にしての忠義」に説明が必要な現代では、共感を得るのは簡単ではないだろう。



 時代劇の世界が縮小し、ファンも縮小したとあっては、時代劇が映画、テレビで少なくなるのは当然か。でも、時代劇の衰退を嘆く向きもいる。時代小説には根強い人気があるから、それらをドラマ化すれば時代劇は蘇りそうだが、実際には時代劇が減る一方の状況を見ると、そう単純なものではないらしい。



 テレビから時代劇が減ったのは、1)時代劇ファンは高齢者が多いのでスポンサーがつかない、2)制作コストが高いーのが原因だとの指摘がある。韓国では映画産業を国が支援しているから、日本でも時代劇を国が支援して、特殊な技能者集団でもある時代劇の制作スタッフを「保護」し、技術伝承を絶やすなという主張もあるようだ。



 でも、娯楽産業が国の「保護」を求めるようになってはオシマイだな。安易に韓国の真似をするより、現代の時代劇スターを誕生させる努力をすることのほうが、時代劇の活性化=時代劇ファン拡大に結びつこう。