望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

はて、面妖な

 忍者が出てくる昔の時代劇映画では、忍者の術による怪異な現象に遭遇した武士などが首を傾げて、「はて、面妖な」とつぶやくシーンがあった。空中に人影が現れたり、追い詰めたと思った相手が忽然と消えたり、夜の闇の中に浮かぶ火が現れたりと、それまでの常識では理解できない事態に直面して、警戒しつつ判断に困る時に使うセリフだ。

 面妖とは「まれなこと。奇怪なこと。不思議なこと。怪しいこと。不可解なこと」とされる。忍者の術だけが面妖な事態を出現させるわけではないので、現代でも面妖な事態は世界各地で出現し、人々は困惑する。科学の知識が発展・普及した現代における面妖は「まれなこと。奇怪なこと。不可解なこと」と感じる事態に対して使うのが適しているかもしれない。

 欧州で相次いでいる美術館での名画に液体などを浴びせたり、手などを接着剤で名画の横に貼りつけるなどの環境活動家の行為は現代の「はて、面妖な」出来事だな。化石燃料の新規開発停止など直ちに対策を講じて気候「崩壊」を食いとめろーとのアピールが狙いだと報じられている。どうやら、気候変動の危機なるものを切実に感じている人々が社会に問題提起するために名画をターゲットにしたらしい。

 オーストリアではクリムトの「死と生」に黒い液体が浴びせられ、英国ではゴッホの「ひまわり」にトマトスープが投げつけられ、オランダではフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」にスープがかけられ、ドイツではモネの「積みわら」にマッシュポテトが投げつけられ、さらには環境活動家が座り込んだりして各地で道路や橋が封鎖された。

 それらの行為を環境活動団体は「地球は死に瀕している。手荒な手段もやむをえない」とか「美しく貴重なものが目の前で破壊されるのを見たときの憤りを、地球が破壊されるのを見た時に同じように感じませんか 」とか「化石燃料で私たちの世界を破壊し続けるのか。決断は今しなくてはならない」とか「石油とガスの新規掘削は人類に対する死刑宣告だ」などと正当化する。

 気候変動の危機の感じ方はさまざまで人によって大きく異なるだろう。過激な環境活動家は彼らの危機感で過激な行動を正当化するが、行動で化石燃料の新規開発を停止させたいのなら、関連する企業や組織、行政機関などに対して抗議活動をするのが当然と見える。だが、名画を狙ったり、道路に座り込んだりする。世論を動かす狙いだろうが、名画に液体をかける行為の面妖さが際立った。

 環境活動団体のスポンサーは米国の富豪で、各国の環境活動団体の連携する活動を多額の資金で支えていると報じられた。どうやら名画を襲った過激な環境活動家は富豪のマネーに操られているらしい。現代では忍者の術ではなく巨額のマネーが引き起こす現象に直面して、奇怪で不可解で「はて、面妖な」と我々は首を傾げる。