望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ブックオン

 ン十年前、東京近辺に住むようになって、月に数回は神保町巡りをするようになり、外出先でも時間があるとぶらぶらと歩き回り、各地で古本屋を捜した。そうした結果として、例えば竹中労さんの著作の大半を入手し、読むことができた。



 古本屋とは、先人の膨大な知の集積している場所である。文化財が集まっている場である。そう考えるから、ブックオフには違和感を持ち、店内に入ることはなかった。どんな本も商品としか見ず、状態の良さを見て買い取り価格を決め、店頭に並べて売れなければ一定期間ごとに価格を下げ、百円均一にしても売れなければ廃棄処分して、棚を空ける……そんな商売だと聞いていた。



 ある時、知人に誘われてブックオフに入った。知人が言うには、「ブックオフは百均だけ見て、掘り出し物を探せばいい」。そういうものかと知人の後について百均コーナーを見ていると、新刊の時に書店で見かけて、「次に読もう」と思ったものの忘れたままになっていた本が何冊もあった。100円(プラス消費税)だからと、それらをまとめて買った。



 ブックオフに入ることへの心理的抵抗感が次第に薄れ、一方ではブックオフがあちこちに増え始めた。やがて、ブックオフの百均で出合わなければ、おそらく読むことがなかったであろう本があれこれ、我が家で次第に増殖し始めた。



 厄介なのは、100円だからと油断して買っていると、読みきれない本がすぐに積み上がること。ブックオフで売れ残って処分されるより、我が家で、いつか読まれる日を待って、積んだままになっているほうが本にとっては幸せかもしれないが、江戸時代なら隠居の年齢になってみると、本当に今生で読み切れるのかという疑念がわいてくる。だって、新刊で買ったものの、ほとんど読まずに積んである本が結構あるから。



 100円で買った本だから、読まずに済ましたとしても惜しくはないのかもしれないが、それって大量消費の思考そのもの。100円という値札が一度つけられると、その本は100円の商品になる。買ったものの読まずに済ましてしまうと、その本は100円の交換価値から抜け出すことができない。本を文化財にするためには、読むしかない。