望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

岩波文庫がキー


 本好きで、内外の古典を片っ端から読んでみようと若き日に一度でも思ったことのある人は珍しくないかもしれないが、実際に古典を片っ端から読んだ人は少ないだろう。哲学やら文学やら物理学やら政治思想や社会論、経済理論……果てしない知の世界が自分にも開かれていることに(大げさに言えば)興奮した人もいるだろう。



 しかし、人生は短し誘惑は多し。金はないけど時間だけはたっぷりある日々も永遠には続かず、家族も増えて、生活のために追われる日々となる。古本屋で岩波文庫などの古典が安く売られているのを見つけて、「ここで出合ったのは何かの縁だ」とつい買ってしまうが、持ち帰った日には読むものの、人生は短し雑用は多しで、いつしか忘れてしまう。



 押し入れの段ボールの中にいつしか古典は押し込まれ、大掃除の時などに見つけて、ぱらぱらとページをくくり、「読み始めたものの、途中で挫折した本ばかりだ」なんて思い出に耽る。そんな時に適当にページを開いて読んでみると、理解しなくてはならないという気負いがなくなったせいか、すんなりと内容が頭に入ってきたりする。



 人生の早い時期にじっくり読むのが、古典にとって「正当」な読まれ方なのかもしれないが、年齢を重ねてみると、人生は短し古典は多し、空いた時間に古典を断片的に拾い読みする魅力に気付く。読み通していないのだから、全体的な理解はできないが、箴言集を読むような感覚といえようか。



 iPAD の発表以来、日本でも電子書籍関連のニュースが急に増えた。iPADはカラー液晶画面で雑誌に適しているとされ、動画を取り入れるなど斬新な試みが進んでいる。でも、電子書籍が日本で定着するためには、目新しさではなく、落ち着いて文字を読む環境が整うことが必要だ。



 電子書籍というと新しさばかりが強調されるが、道具(手段)でしかない。いつでも、どこででも書籍を買って読むことができるシステムと考えると、Kindle(あるいはiPAD)を持ち歩くだけで、どこでも岩波文庫から古典を引っ張りだして読むことができるというのは魅力がある。



 岩波文庫は5千点以上刊行していて、古典が充実している。ただ、目録から落とされている品切れが多い。年100部も売れないものは再版しづらいだろうが、電子書籍なら年100部であろうと商売になるだろう。岩波文庫が全目録を電子書籍対応にし、それを皮切りに新潮、文春、角川、講談社など各社の文庫が絶版を含めて電子書籍に対応するならば、日本人の読書環境はおそらく世界1豊かなものになるだろう。