望潮亭通信

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ロックダウンを主張した人々

 日本で新規感染者が連日急増した第5波の最中に、感染拡大を抑制するために人々に対する厳しい行動制限など可能にするロックダウンを主張した人々がいた。政府の新型コロナウイルス分科会の尾身会長や全国知事会などの主張をマスコミは大きく伝え、ロックダウンを求める人々の声も加えて報じた。

 人々に自粛を要請することが日本では行われたが、諸外国では国家の強制力により、人々の外出や移動をほぼ禁止し、商業施設を閉鎖させ、企業活動をほぼ停止させたりした。ロックダウンも様々で、完全に都市を囲い込んで封鎖する厳格なものから、買い物などの外出や一部の商業施設の営業は認めるなど、その実施形態は幅広い。

 自粛要請だとされた日本では、人々の外出や移動は禁じられてはいなかったが、商業施設の営業はほぼ政府方針に従わせられ、酒類の提供などが厳しく規制され、企業も政府方針に従って社員の出社を減らし、リモートワークに移行した。自粛要請とはいっても日本でも実態はロックダウンだった。

 ゆるいロックダウンを続けてきた日本で、第5波が襲来する中でロックダウンを求める主張を始めた人々は、人々の外出や移動を禁じることが必要だと考えたのだろう。商業施設や企業などはほぼ政府の施策に従っていたが、飲み会などでのクラスター発生や観光地での感染拡大などが報じられ、感染爆発に専門家も行政も政府も無力とあっては、人々の外出や移動を禁止するしかないと考えたか。

 だが、厳しいロックダウンを実施した諸外国が感染拡大を押さえ込むことができたわけではない。欧州諸国のように、厳しいロックダウンでも日本をはるかに上回る感染者や死者を出している。今回のパンデミック対策では科学的知見に基づいていることが強調されたが、厳しいロックダウンによる感染拡大の抑止効果が数値化されて示されたわけではない。厳しいロックダウンの効果について科学的知見に基づいた分析も皆無だった。

 人々の外出や移動を禁じる厳しいロックダウンを求めた人々は、感染爆発の責任を人々に転嫁した。尾身会長や全国の知事らは、国家が強権で人々の行動制約を行うことと民主主義の関係を説明しなかった。彼らが民主主義をどのように考えているのか、質したマスコミもなかったようだ。

 厳しいロックダウンがなくても日本で感染増加の勢いは衰えた。厳しいロックダウンの必要性は現実には否定されたのだが、尾身会長や全国の知事の主張を検証するマスコミはなく、彼らの主張は否定されずに放置されたままだ。権力を振り回したがる人はいつでも存在する。パンデミックを、人々を厳しく管理する国家体制にしようとする人々のチャンスにしたならば、日本の民主主義はさらに空洞化する。