望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

おみくじの秘密

 初詣で、おみくじを抽(ひ)いた人も多いだろう。大吉を抽くと大喜びし、凶など出ようものなら縁起が悪いと気にかかったりして、それなりの影響力をおみくじは持っている。とはいえ、おみくじが個人の運勢や吉兆を正確に言い当てていると信じている人はほとんどいないだろうし、大半の人は気休めか迷信と知りながら、個人のプチイベントとして面白がっている。

 おみくじの抽き方はいろいろあるが、味気ないのが自動販売機。販売ではないから自動頒布機というのが正式の呼び方だというが、ありがた味が薄れる印象はぬぐえない。中には、獅子舞や神主などの姿のミニからくり人形がおみくじを受け取り口まで運んで来る自動販売機もあって、愛敬はある(ありがた味が増すかどうかは定かではないが)。

 おみくじは簡単に抽くことができるが、正しい抽き方があるという。『一番大吉! おみくじのフォークロア』(中村公一、大修館書店、1999年)によると、「法華経普門品を三編読誦し、聖・千手・十一面観音の真言を各三百三十三編唱え、三十三度礼拝したのち、初めておみくじを抽くことが許される」「礼拝後みくじ箱を両手にとり、三度頂戴したのち願文を読み、占うべきことがらを心によく念じて、みくじ箱から一本振り出す」。

 おみくじを正しく抽くには大変な努力を要するものらしいが、台湾では、おみくじを抽く際に、おみくじを抽いても良いかどうかと、抽いたおみくじが神の意向にかなったものかどうかを、三日月型の木片を投げて確かめるというから念が入っている。まあ、おみくじは人間がつくったものだから、それを神の意向と信じるためには、もう1段階の手間を要するということか。

 神が存在して、神が人の運命を司ると信じるならば、おみくじを抽くことは、神のご託宣を承る神聖な行為である。遊び半分で気軽に抽くことは憚られることだろうし、身を清めてから抽かなければなるまい。そうすると、おみくじを抽く人は激減するだろうから神社などには打撃だろう(例えば、1回100円のおみくじを1万人が抽けば100万円の収入になる)。

 だから、おみくじは箱から取り出したり、みくじ筒からみくじ竹を振り出したり、自動販売機で誰でも気軽に抽くことができるようになっている。さらに、恋みくじとか七福神みくじなど複数を取り揃えている神社などは珍しくなく、日銭稼ぎのいい商売になっているのが現実だ。神のご託宣を告げ知らせるために無料でおみくじを頒布している神社が、あってもいいのに。

 運命があって人の一生が定められているとすれば、人は「生かされている」ことになり、人生の責任が少し軽くなるかもしれない。だが、運命があるのか人間は知ることができないから、人生には多くの迷いがつきまとう。決めかねている時に、おみくじをヒントに判断する人がいたとしても、批判はできない。そもそも合理的な判断ができる人なら、おみくじを抽こうなどと考えないだろうから。