望潮亭通信

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米軍の侵攻から20年

 米国は7月6日、アフガニスタンからの米軍撤収が9割以上完了したと発表した。米軍がアフガニスタンに侵攻したのは20年前の2001年10月。同年9月11日に米NY市における同時多発テロが発生した後、米国はアフガニスタンタリバン政権にアルカイダのビン・ラーディンらの引き渡しを要求したが、タリバンは応じなかった。

 この20年間に米国はアフガニスタンタリバン勢力を劣勢に追い込み、民政政府を誕生させたが、タリバンを壊滅させることはできず、米軍の活動範囲における治安は維持できたものの全土における治安は確保できなかった。米軍の撤収に呼応するようにタリバンは活動を活発化させ、米軍が去った後に全土を制圧するとも見られている。

 米軍はタリバンに敗れた構図だ。米軍はアフガニスタンに侵入し、圧倒的な武力で制圧することもできたが、民生政府はもろく、政府軍は弱体のままだ。厳格な宗教規範による統治を行ったタリバンが民心を得ているわけではないが、米軍もアフガニスタン民政政府も民心を得ているとは見えず、20年もあったのに米軍も米国もアフガニスタンタリバンから解放された国にすることはできなかった。

 おそらく米国は同時多発テロに対する報復感情が当時のアフガニスタンに対する懲罰感情につながり、アルカイダを匿うタリバン政府を倒すことを急いだが、倒した後のことは考えなかった。圧倒的な武力でタリバン政府を倒すことは簡単だったが、米軍が引き上げたならタリバンはすぐに勢力を回復するので、タリバンの回復を抑えるために米軍は駐留を続けざるを得なかった。

 米軍の駐留は続いたが米国にアフガニスタンの国づくりのプランがあったわけではなく、民政政府という体裁を構築しながら20年が経過した。アルカイダを駆逐し、ビン・ラーディンを殺害したことが米国の成果だった。だが、米軍の撤収の後にはタリバン政府の復活が待っているとすると、米国は同時多発テロに対する報復を成し遂げたが、アフガニスタンで成し遂げたのは、それだけだった。

 米バイデン大統領は7月8日、アフガニスタン駐留米軍を8月31日までに撤収させるとし、米軍に協力したアフガン人の通訳らを米国に受け入れる作業を急ぐとも述べ、攻勢を強めるタリバンに対しては、兵30万人を擁するアフガニスタン政府軍に対応する能力があるとした。そのアフガニスタン軍の兵士は、タリバンの攻勢に押されタジキスタンなど隣国に逃げ込んでいると報じられる。

 米軍のアフガニスタン侵攻から20年。米国が望むような「民主国家」は誕生せず、同時多発テロに対する米国内の報復感情は収まり、長期の米軍派兵に対する負担感が勝るようになったとあっては、米軍撤収が米国の最優先課題となった。米軍侵攻から米軍撤収までの20年に欠けているものは、アフガニスタンで生きる人々に対する配慮と共感だ。