望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

後は知らない

 2013年の夏、イラクでは治安がいっそう悪化した。7月は、各地での自爆攻撃や刑務所襲撃などによって1000人以上の死者を出し、刑務所からはアルカイダの幹部らが脱獄した。多国籍軍からイラク政府に治安権限はとっくの以前に返還され、米軍を始め多国籍軍イラクから撤収したが、イラク国内は荒れたままだ。



 8月になっても首都バクダットを始め各地で爆破事件や襲撃が続発した。アルカイダ系勢力がテロを繰り返しているほかに、宗派対立が深まり、シーア派スンニ派双方の過激派がテロを行っているとされ、治安の悪化に歯止めがかからない状況。すでに治安は崩壊したと見るべきだろう。



 8月は例えば、ラマダン明けの10日に各地で爆弾テロが続発し、74人死亡、320人以上が負傷し、25日には車や道路脇に仕掛けられた爆弾が相次いで爆発し、武装勢力による政府軍の兵士への襲撃などが相次ぎ、全土で68人死亡、負傷者は200人以上。28日にはバクダットなど10カ所以上で爆弾が爆発し、64人が死亡した。怒った住民たちが犯人と疑われる人物を殺害し、遺体を焼いた事例もあるという。



 営業中の喫茶店の店内で爆弾が爆発したり、朝の通勤時間帯を狙って自動車爆弾や自爆の同時多発攻撃が発生したりと、平穏な「日常」は失われ、イラク政府に市民の怒りは向けられた。だがイラク政府は“無能”で汚職まみれといわれ、治安問題への対処だけでなく、電気や清潔な飲料水の供給などインフラ整備ができず、政争によって政権はまひ状態ともいい、無秩序状態は続く。



 これが、2003年3月に米軍など多国籍軍が始めたイラク戦争の10年後の状況だ。イラク大量破壊兵器保有しているなどという口実で始めた戦争だが、サダム・フセインを処刑し、当時のイラク政府を瓦解させて「目的」は達成したのか、多国籍軍は撤収し、混乱だけが残った。「独裁」の反対語は「民主」ではなく「混乱」だということが、イラクを始め中東各地で実証された。



 戦争を仕掛ける口実は、ことに独裁政権相手なら何とでもつきそうだ。だが独裁政権を崩壊させても、民主的で有能な政権が簡単に誕生するはずもなく、後は知らないと多国籍軍が撤収した後は混乱が続き、アルカイダ系などの武装グループが活動しやすくなる地域が増える。更に、宗派対立に火がつくとあっては混乱は長引く。



 米軍など多国籍軍アフガニスタン攻撃からイラク戦争、「アラブの春」を経た中東を見ると、各地に弱体化した地元政府はあるものの、実質的には無政府状態の地域が増えている。これは、欧州各国が中東を分割して植民地にした当時と似たような状況にも見えてくる。



 冷戦が終わった影響が中東では、植民地から独立国へ移行した諸国の国家機能の喪失として現れた。植民地の線引きを、そのまま国境として独立することの「無理」が露呈し始め、そうした国家が解体過程を歩み始めたとも解釈できる。人々にとっては悲惨な状況だが、彼らが自前の国づくりに失敗した結果でもある。