望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

無事に帰国することが任務

 空自以外の自衛隊が06年にイラクから撤収した。03年12月に先遣隊が派遣されて以来、「自衛隊の行くところが非戦闘地帯」の迷言通りだったのかは知らないが、2年半余りで全員無事に引き上げた。無事だったことは良かったのだが、肝心のイラクが当時、滅茶苦茶になっていることへの関心が薄かったのが気になる。イラクの復興支援に自衛隊は行ったのではないのか。


 イラク国内での死者は06年上半期で民間人だけで1万4千人以上。5、6月だけでも6千人近く、国内避難民も16万人を越えた。選挙を経て自前の政府が当時発足したものの、治安が維持できず、国内の主要施設は米軍などに守られているという状況では、復興への第1歩さえ踏み出していなかった。3月のアスカリ廟爆破以来、シーア派スンニ派の対立が先鋭化し、強盗団なども横行し、殺人や拉致、拷問が蔓延しているともいわれた。


 国連イラク監視団の報告書によると、モスクを狙った自爆テロや判事暗殺、刑務所内の殺人、イスラム聖職者への襲撃などのほか、民族や宗教、服装が異なる人々や女性、同性愛者も標的にされていた。民間人の死者の大半は爆弾や通りすがりの車からの銃撃で殺され、「近所の市場やガソリンスタンドなどでの無差別攻撃や、武装勢力と治安部隊の衝突に巻き込まれている」状況。拉致された人の多くは身代金が支払われた後に殺害されていたともいう。無法状態であったことは間違いない。


 そんなイラクから、アメリカへの義理は果たしたとばかり自衛隊が去った(空自は残って米軍等を助けた)。日本政府の独自の考えとして、イラク復興の支援のために自衛隊を派遣したのであれば、復興の目処が立つまで派遣を延長すべきだった。海外での武力行動が禁止されている自衛隊は自前で治安維持が出来ず、治安悪化で危険になったので一時撤収するというのなら理解も出来るが、逃げ出すように撤収して、日本国内では「無事でよかったね」で済まされるのであれば、やはり日本は自分らのことしか目に入らないと言われても仕方あるまい。


 自衛隊イラク現地に派遣するということが派遣の目的だったから、当時の小泉首相の退陣前に無事に帰国させることが出来たのは「成功」だったとの見方がある。海外派遣の実績づくりが目的だから、自衛隊イラクに行っても、復興支援の「アリバイづくり」のほかは防御の堅固な基地に閉じこもり、無事に帰国することが任務だった。