望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





電線の地中化

 住宅地の高架を走る列車の窓から外を見ると、電線をつないだ電柱のアタマが並んでいる光景が目に入る。たしかにゴミゴミとした印象はあるが、「汚い」光景だとはいえない。しかし、電線の地中化を主張する人は、電線や電柱が目障りで仕方がないらしい。



 例えば、2011年の東京新聞のインタビューで女子教育奨励会の木全ミツ理事長は、大震災の復興には「女性という資源を活用しなければなりません」、それなのに「今回の復興計画も従来と同じ発想で男性中心で進み始めているような気がします」とし、「先進国とはいいながら電線が汚く張り巡らされている町並みのような『おかしなこと』がない社会が復興後のイメージです」という。



 電線を「汚く張り巡らす」町並みは先進国らしくなくて、おかしなことだと木全氏は感じているようだ。どう感じようと個人の自由だが、自分の情緒が先立つと、復興のイメージも情緒的なものとなる。この種の人が参加する会議では、情緒的な主張が議論をかき乱して、全体の議論も情緒的になったりする。「汚く」感じるのも、「先進国らしく」感じるのも、「おかしい」と感じるのも人それぞれ。誰かの感覚を基準とすべき理由はない。



 これまでにも景気対策の公共事業の一つとして、電線の地中化を挙げる人はいた。電線を地中化すれば先進国らしくなるのかは疑問だ。電線の地中化の必要性はイメージ重視で語られ、そのほかの理由は語られてこなかった。町並みがスッキリするといった以外の電線地中化のメリットは何だろうか?



 大震災の被災地では電気、水道等のライフラインが寸断されたが、真っ先に復旧したのは電気だった。TVの映像を見た限り、東北各地では電線の地中化は進んでいないようだった。傾いたり、倒れた電柱や、垂れ下がった電線等を、津波に襲われた光景の中に見ることができた。そうした電柱を立て直したり新設し、電線を張り直すことによって電気が真っ先に復旧した。



 東北の被災地では、地中に埋設されている水道の復旧には時間がかかった。水道の復旧に時間がかかったのは、液状化の被害が大きかった首都圏の浦安などでも同じだった。地中で、どこが破断・損傷しているのかを調べることに時間がかかるのだろう。電柱と電線なら、どこの電柱が倒れているか、どこで電線が切れているのか、見て回るだけで判明する。



 日本は地震国である。全国どこでも「次」の被災地になる可能性がある。地震に強い国づくりを考えるなら、地震が起きることを前提にして、インフラの素早い復旧ができるようにすることが大切だ。電線の地中化を主張する人達は欧州の街並みを「基準」にしているようだが、欧州は地震が少ない。日本とは事情が異なる。欧州をマネしても、地震の被災地になった時に役立つとは限らない。