望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

社会の外から来る大量の難民

 東日本大震災で被災し、避難所生活を強いられた人の数は全国で最高時には約47万人にも達した。阪神大震災では約32万人。被災者は学校や公共施設などで集団生活し、仮設住宅が整備されたなら順次移転したり、借り上げの災害公営住宅などに入居するなどして、とりあえずの住居を確保して生活の再建を目指す。

 被災者の支援を直接担当するのは地方自治体だ。地震などでは被災地の自治体担当者も被災者であることが多いが、多くの人は献身的に他の被災者の支援にあたる。同じ境遇にあるからこそ、同じ被災者を助けなければとの使命感が強くなるのかもしれない。地震など自然災害が多い日本では、いつでも、どこでも、誰でも被災者になる可能性がある。

 大規模な自然災害による被災なら、国境を越えても同情が生じ、援助しようと募金などにつながったりする。一方、内戦などを逃れて国境を越える難民は、生活基盤を失い、やっと生き延びたということでは自然災害による被災者と同様だが、彼らは往々にして過酷な環境で生きることを強いられる。内戦や紛争は常に世界の各地で起きているから、難民はいつでも、そして大量に存在するのが現実だ。

 そうした難民が国境を越えて自分らの所へ押し寄せて来るとなれば、それは概念の難民ではなく具体的な人間となる。自然災害による被災者と同様に、衣食住の支援を要する人々なのだから、即座の対応を要する。支援を行うのは、押し寄せられた側だ。10人分の衣食住を支援することでも容易ではないだろうが、それが百人、千人、さらには万人単位となると、支援のシステムを構築することが必要になる。

 押し寄せる難民に対する支援をどうするか、それを現実問題として突きつけられているのが欧州だ。中東などから地中海を渡って欧州に到着した難民らの数が2015年10月だけで21万8000人を超え、前年の年間総数を上回り、年初からの合計は74万4000人以上。陸路を含めると総数はさらに増えよう。

 シリア内戦が泥沼化したことに欧州は責任があるので、シリアからの難民に背を向けることはできないし、中東やアフリカの多くの難民・移民の排出国は、かつての欧州諸国の植民地だが、植民地支配による収奪の清算をしていないのだから、欧州諸国には後ろめたさがある。ただし、植民地支配の責任についてはウヤムヤにしたままなので、旧植民地からの難民に対しても、あくまで人道的な配慮を装う。

 地震などによる被災者は社会の内側にいた人々だから、助け合うという気持ちが自然に生じるだろうが、難民は、社会の外側からやって来る。そうした難民を、例えばドイツが助けるためには、「過去に難民を排出したから、今度は助ける」など様々な理由が必要になる。外から来る難民を助けるためには、それを政治的に正当化することがまず必要になる。