望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

国境の希薄化

 目新しくはなくなったグローバリズムという言葉。資本主義が世界を覆っていることや、“できる(稼ぐ)”人は国境を越えて世界で活動するというイメージをこの言葉は醸成、定着させたようだ。似た言葉にインターナショナリズムがあるが、こちらは、国家の枠を超えて労働者階級が連帯・団結するというプロレタリア国際主義の意味。いずれも国境を越える活動なのだが、インターナショナリズムは死語と化しつつある印象だ。



 代わりにというわけではないが、活発化しているのが、イスラム過激派の国境を越えた連帯だ。イスラム主義の運動はムスリム同胞団などのように、国境に関係なくアラブ諸国で以前から広がっていたのだが、ニュースでよく見るようになったのが、アルカイダとの繋がりがあるというイスラム過激派がアラブ圏やアフリカの方々で起こす事件。



 2013年のケニア・ナイロビのショッピングモール襲撃事件の犯行声明を出したイスラム過激派アルシャバブアルカイダとの繋がりがあるという。これまでは地元ソマリアで活動し、首都を占領したこともあるほどだったが、エチオピアソマリア暫定政府の連合軍の攻撃でソマリア南部に後退、更にケニア軍により基地をつぶされ、弱体化していた。今回の襲撃事件では、ソマリアからのケニア軍の撤退を求めた。



 アフリカ東部にあるソマリアはインド洋とアデン湾に面し、近くを航行する諸国の船舶を襲う海賊の根拠地として知られる。内戦が続き、政府はあっても国の一部にしか統治が及ばず、事実上の無政府状態ともいわれる。1960年の独立以前は、北部をイギリス、南部をイタリアが植民地としていた。



 破綻国家にとって国境の意味はないだろうが、植民地支配をしていた欧州諸国が引いた境界線を国境として独立することにも、たいして意味はない。その地に住んでいる人々にとって、植民地の境界を、独立後の国境とする必然性はなかった。民族自決を掲げるなら、独立時に国境線の見直しがなされるべきだったが、植民地から独立を達成した国の多くは、植民地の境界を国境とした。



 そんな国境が「価値あり」と人々に認められるためには、独立後の政治が機能し、人々の生活が良くなることが最低条件だろう。しかし、アラブ圏やアフリカの諸国では独立後、欧州による植民地支配の構造に倣ったかのような強権支配になって、新たな収奪が行われたりする。イスラム過激派が権力を握ったとしても、宗教色の強い強権支配になりそうで、人々の生活がどうなるのか分からず、期待はかけられまい。



 第二次大戦後の植民地独立“ブーム”から半世紀。アフガン、イラクリビアなどアラブ圏で弱体化する国が増えている。植民地構造の延長上にある独立国の「耐用年数」が切れかかっているのかもしれない。国境線の引き直しを行ったとしても、それで全てがうまく行くというわけではないが、“自前”の国だとの意識を持つ人々は多くなるかもしれない。