え~、2009年に当時のスーダンのバシル大統領に国際刑事裁判所(ICC)が逮捕状を出しましたな。30万人が死んだとされるダルフール紛争ってのがありまして。そこであった殺人、拷問など戦争犯罪や人道に対する罪に責任があるとの容疑だったンですね。
しかし、この訴追によって国連の和平仲介や避難民保護が難しくなる可能性があると新聞は報じ、実際にスーダンは国際NGOを追放し始めたそうです。バシル大統領もスーダンを出なければ、捕まる可能性はないそうですから、悲惨な状況の出口は見えなかったようですな。
国連で米英仏などは訴追を支持し、中ロやアフリカ、アラブ諸国は「和平を優先すべき」と訴追延期を支持していたそうで、いろいろな「正義」があるようです。そうそう、中国が援助した大規模ダムのメロウェダムがスーダンで完成、バシル大統領が式典で演説したとか。いろいろな利害も絡んでいるンですな。
地図を見ますとね、スーダンはエジプトの南側になります。東隣がエチオピアで、その隣がソマリア。海賊騒ぎで有名になった破綻国家ですね。スーダンの南側はウガンダで、その南西にあるのがルワンダ。大量虐殺があったところですな。類は友を呼ぶではないでしょうが、アフリカ東部には血なまぐさい空気が漂っているようでして。
スーダンとエジプト、スーダンとチャドの国境は直線です。地図を見ると、アフリカや中東の国境線には「直線」が多いことに気づきます。ヨーロッパの国境には直線はあまり見当たりませんし、アジアにも直線は見当たりませんな。北米ではアメリカーカナダ国境が直線ですが、南米には長い直線は見当たりません。
直線の国境は欧州各国の植民地であったことを示すようです。その土地に住んでいる人々が、小さく分かれて争いを繰り返しつつ、次第にまとまったという歴史を経た国の国境線は、自然の地形に沿っていたり、古くからの部族の勢力範囲を反映したりしていて、直線にはなりません。
民族自決という言葉があります。米ウィルソン大統領が提唱し、国際的にも承認されていますがね、第2次大戦後の植民地独立が一段落したせいか、最近はさっぱり見かけません。しかしですね、当時のスーダンでのアラブ系と非アラブ系の対立や、イラクでのシーア派、スンニ派、クルドの対立などを見るにつけ、無理して一つの国でいなければならない理由はもう、なかろうに……と思ってしまうのです。
植民地として支配していた欧州各国が勝手に引いた境界線を、植民地が独立した後でも人々は守らなければならないのでしょうかね。おそらく旧宗主国の権益がなお絡んでいたり、対立する各民族・各派に政府(国家)を形成するほどの意識が希薄だったりするのでしょうが、植民地支配のツケを現地の人々だけがなお払わされているようにも見えますな。
コソボの独立承認で各国の足並みが乱れたように、各国内にも分離独立を求める勢力がありますから、旧植民地の国境線の見直しを容認すると、世界的な大混乱を引き起こす可能性がありますな。だから、各国は民族独立とか国境線の変更に対して、見て見ぬ振りをしているのかもしれませんが、それは旧植民地の国々に矛盾が押しつけられ、それが続いて行くことを意味するのでしょうね。