中国政府が「中国の民主」と題する白書を発表、報道によると「西側の民主モデルをただまねるのではなく、中国式の民主を創り上げた」と主張し、共産党主導の中国式民主主義の特色と成果を強調する内容だったという。中国にも民主主義があるとの主張だ。
中国式の民主主義という主張は、民主主義に様々なバリエーションが存在することで成り立つ。民主主義は欧米発祥のものだが中国は「民主主義は全人類共通の価値観」とするものの、それぞれの国の歴史・文化に根差した多くの形態が民主主義にはあるとし、中国では共産党の指導による民主主義追求の歴史があるとする。
共産党が独裁し、議会は形式だけのもので、法の支配は限定的、個人の自由は厳しく制約され、少数民族に対する過酷な支配が行われている現在の中国を民主主義国と認めるなら、現在の世界に民主主義ではない国はほとんど存在しないだろう。
中国が誤魔化しているのは、国家の主権を有するのは誰かということだ。王や貴族など特権階級が国家権力を専有する体制を打倒し、人々が国家主権を共有することが民主主義の基本となる大原則だ。中国では国家主権を共産党が独占し、人々は共産党に支配される存在でしかない。そうした中国が民主主義を標榜するのは、「中国独自の」と限定したとしても間違っている。
国家主権を人々(人民)が有するが、その人民が共産党の統治を支持しているというのが中国式の民主主義の解説なのだろうが、本当に人民(人々)が共産党の独裁を強制されずに支持しているかどうか不明だ。人々(人民)の支持を客観的に明確化する仕組みが自由選挙なのだが、中国では立候補にも投票にも制約がない自由選挙は実施されていない。
中国が中国式の民主を主張したのは、民主主義を否定することができなかったからだ。市場経済を取り入れ、搾取を容認し、資本家階級も特権階級も形成されたとあっては、もう中国は共産主義の労働者階級独裁=共産党独裁との図式に頼ることはできなくなった。だから、民主主義を否定できず、中国式の民主主義があるとうそぶくしかなかった。
民主主義が国により様々な形になるというのは正しい。土着の文化や歴史などに政治システムは影響を受けるので、国によって民主主義による政治のありようは異なるのだが、①人民主権、②主権者による自由選挙、③主権者の代表による議会、④法の支配ーなどは原則である。それらが欠如している中国が独自の民主主義を主張するのは、民主主義をつまらないものと人々に思わせることが狙いか。