地図で見ると、中東やアフリカには直線の国境線が目につく。そこにある諸国の大半は欧州の植民地だった。欧州人がやってきて、勝手に線引きし、植民地とした。その土地に住んでいる人々の自発的なまとまり(部族や民族)などとは関係なく、植民地として一括りにされ、それが第2次大戦後、独立して国家となった。
どうして、そこに住んでいる人々に国家意識が発生しようか。そもそも彼らが一つの国家を形成していなければならない理由は乏しい。植民地の残滓を引きずっているだけである。
冷戦期には米ソの勢力争いが世界的に行われ、国家の分裂は米ソの勢力バランスを崩すとして許されなかったが、冷戦終焉後、ソ連の崩壊とともに国家の分裂・解体の動きは欧州において進み、東ドイツは消滅し、チェコとスロバキアは分裂し、ユーゴスラビアは民族別に分裂した。
しかし、中東やアフリカなど欧州の旧植民地においては、未だに民族自決は“許されない”。誰が許さないかというと、欧州である。彼らにとって植民地は、例えばアフリカに対する最近の姿勢に見られるように、同情・援助の対象としては取り上げるが、民族自決の原理を旧植民地の人間に適用することは許さない。人道だの人権だのの綺麗事でごまかしているが、旧植民地がそのままの枠組みで存在し続けることが、旧宗主国である欧州にとっての利益であるからだ。
民主主義の大原則は、自分らに関する事は自分らで決めるということだ。中東やアフリカの諸国が、植民地の線引きをいつまでも引き継ぐ必要はない。チェコスロバキアやユーゴスラビアのように、分裂したければ分裂すべきだ。いつまでも欧州の言うなりに、なっていなければならない時代は、終わった。