望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





住民が決める


 民族自決とは大辞林によると、「ある民族が他の民族や国家の干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織を決定すること。第一次大戦アメリカ大統領ウィルソンが高唱し、その後の民族独立の指導原理になった」とある。第二次大戦後に国際法における基本的権利となり、欧米の植民地の独立を後押しした。



 この民族自決の考え方は、ある地域に1民族だけが集まって暮らしている場合には分かりやすい構図となる。しかし、欧米が勝手に引いた植民地の境界線は、もともとの民族居住の実態を無視したものであることが多く、植民地の境界をそのまま国境として独立すると、民族が分断されたり、諸民族が混住したりすることになる。ある国の人口構成が、A民族6割、B民族3割、C民族1割などというのは珍しくない。



 多民族が混住している国に民族自決の考えをあてはめると、どうなるか。一つの国としてまとまるよりも、各民族が自決・独立を求め、そのためには武力行使も辞さず、戦い合うことを始めると、ユーゴスラビアのように民族ごとの国家に分かれるしかあるまい。ただ、独立を求めて戦う民族でも、統一国家の武力の前に“無力”なら、テロ組織扱いされるだけだ。



 植民地から独立国となった多くで、国内に分離・独立を目指す民族問題を抱えているが、国際社会(=欧米?)は簡単には民族自決に賛成してはくれない。植民地時代からの“権益”に影響が及ぶことを避けることと、欧州各国も内部に分離・独立運動を抱えているので、簡単にどこかの1国内の民族自決を認めると自国にも影響が及ぶ。



 さて、クリミアは「民族自決」を達成することができるか。ロシア人が6割で、ウクライナ人が25%ほど、タタール人が1割強という中で、帰属を問う住民投票を行えば、ロシア人の意向が反映した結果になろう。それはロシアの一連の行動を正当化することにもなるので、欧米は住民投票自体を認めない意向だ。



 だが、欧米は住民投票を利用してきた過去がある。例えば、セルビア自治州だったコソボの独立。2007年の州議会選挙でコソボ独立派が勝利し、翌年に州議会が全会一致で独立を議決、欧米も次々に承認した。コソボでは、犯罪に関わるなど悪名高いコソボ解放軍がセルビア人に対する「民族浄化」を進めていたが、その指揮官らは独立後の政権に加わった。



 民主主義や人権、民族自決などは絶対の原理ではなく、欧米は時々の都合によって勝手な解釈で利用するものだとは歴史が教えるところ。でも、武力で押さえつけても世界各地の分離・独立の動きは止むものでもあるまい。民族自決から住民自決へと考えを進めて、欧米などの“大国”が綱引きして行方を決めるのではなく、その地域の住民が投票で分離・独立を決めることを国際的な原則にするなら、紛争が少なくなる新しい世界が開けそうだ。ただ、世界中には小さな新しい国が増えそうだが。