望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

語り継ぐもの

 東日本大震災があった3月11日には毎年、テレビ各局は特番を並べ、新聞各紙は数ページの特集を組むなど大々的に取り上げる。それらでは、肉親を失った人々にスポットを当て、亡くなった人を悼み、例えば、「忘れない」などのメッセージを大きく掲げたりする。

 しかし、3月11日が過ぎると東日本大震災関連の番組や特集記事は激減する。「忘れない」とのメッセージとはマスメディアにとって、毎年3月11日に必ず追悼企画を組むという意味なのかもしれない。大震災や大事故、大事件など非日常の出来事は毎年どこかで起きるのだから、マスメディアは何らかの追悼企画を毎月でも組むことができそうだな。

 非業の死を遂げた人々を忘れないというのは、生き残った人々の責務であろう。人の死は実感を伴った歴史の記憶であり、例えば、日本で暮らすとは、いつかどこかで大震災に遭遇する可能性が高いことでもあるのだから、避けることができなかった死を悼み、避けることができただろう死を検証することは必要なことだ。

 多くの死者の記憶が存在する中でマスメディアが情緒的に死者を悼むのは不思議ではないが、いつかどこかで次の大震災が起きる日本だからこそ、「忘れてはいけない」ことを伝えることが重要になる。それは、次の大震災での死者を1人でも少なくすることに寄与するような番組、記事をつくることだ。

 語り継ぐべきものは、感情であり記憶であり事実である。死者への思いは大切だが、それに偏重しすぎると、見失われるものがある。大震災の発生後から、何が起こり、人々はどう行動したのか。地域別に詳しく検証し、記録を残すことが、次の大震災における対応のヒントになる。さらに復興・復旧がどう進展したか、あるいは進展しなかったかを検証することで、実際に有効な施策が見えてこよう。

 東日本大震災では、津波により多くの人命が失われ、さらに福島第一原発事故による大量の避難など大規模な混乱が続き、阪神大震災では火災により多くの人命が失われた。住む場所や時間、地形、地域の人間関係などにより異なる様々な具体的な死があり、あるいは助かった命があっただろうから、それらを記録し、共有することが次の大震災の最善の備えとなる。

 例えば、避難する車で道路が渋滞して津波に襲われたり、渋滞で消防車が火災現場に到着できずに延焼が拡大したりと、現在の交通事情が地震に脆弱であることは明らかなので、大地震を想定した都市の再開発は急務だ。マスメディアが「忘れない」で伝え、問題提起すべきことは多い。