望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

職業としての芸能人

 芸能人の引退はよくあることだ。テレビや映画、CMなどの出演依頼が絶えたなら、ひっそりと消えていき、世間から忘れられ、引退せざるを得ないという仕組み。ヒット曲がある歌手なら実演で全国を回リ、役者なら舞台公演を企画して活動を続けることもできようが、それも観客を集めることができる間に限られる。

 出演依頼がなくなったとしても、芸能事務所に所属している間は芸能人として現役の意識があるだろうが、芸能事務所から契約を打ち切られ、フリーとして単独で活動を続けていくとミエを張っても、どこからも出演依頼がなければ開店休業、実質的には引退となる。

 有名になって注目を集め、ついでに大金を稼ごうと目論んで多くの人が芸能人になるが、売れる人は一握り。常に大量の芸能人の引退がひっそりと続いているのだが、そうした引退と異なる引退がある。それは、①仕事がなくなったわけではなく、芸能活動を続けることができた可能性があるが、②本人の意志で引退を決め、③マスコミに発表……などの共通点がある。

 これらの自発的な引退は、華やかに見える芸能人でいることよりも個人の事情を優先した形だ。個人の事情といっても、薬物疑惑の追及からの逃避と見られるものから、宗教活動に専念したり、ひっそりと忘れられる前に自ら区切りをつけたり、家事に専念したりと様々だ。

 人気があり、仕事もあるだろうに引退した芸能人は過去にもいた。例えば、原節子ちあきなおみ山口百恵原節子は引退を宣言しなかったが、表舞台には姿を一切見せないという徹底した隠遁ぶりだった。ちあきなおみも引退宣言はしていないが、夫君の死後、芸能活動を止めて姿を消したままだ。山口百恵は結婚を機に芸能活動をやめた。

 人気や多額であろう収入よりも優先するものがあると引退する芸能人は、引退する事情を詮索されて芸能マスコミを賑わす。芸能人という職業から離れると宣言すれば、すぐに世間は放っておいてくれる……ほど甘くはない。人気者の転落話は格好のネタだし、引退する芸能人なら、遠慮なく虚飾をはぎとり、おとしめることさえ可能になる。

 芸能人というのは特殊な職業だ。職業と個人生活の境界は曖昧で、売れるものなら何でも売ってやるとプライバシーを売り込んだり、自宅内部をTV番組で公開したり、時には裸になって見せる人も珍しくない。だから、引退した途端に本人は民間人になったつもりでも、世間は簡単には認めず、引退しても芸能人は元・芸能人という新たな興味の対象となる。