望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

最悪の事態を想定

 日本は各地で感染拡大の波に見舞われ、政府は緊急事態宣言を次々に適用せざるを得ない事態に追い込まれた。昨年から政府は同じような対策を繰り返している。まん延防止等重点措置を新設してはみたものの、その効果は皆無といった状況だ(市町村が独自の判断で機動的に発令できていれば結果は違っていたかもしれない)。

 政府の対策の基本は、飛沫感染接触感染を防ぐことが中心で「密になるな」「会食するな」「外出するな」など人々の接触を減らすことに懸命だ。だが、同じ対策を1年以上続けてきて、少しも感染を抑制することができていないのだから、続けている対策では効果に限度があると認識すべきだろう。だが、他に対策を思いつかないとすれば、後は大量のワクチン接種の効果に期待するしかないか。

 感染者が増え重症者も増えたことで政府は医療崩壊を懸念し、大阪など地域によっては医療崩壊が現実に起きているとマスコミは連日報じる。これまでの政府の対策では、感染拡大を防ぐことも重症者を減らし死者を減らすこともできなかった。そんな対策を続ける政府は、①政策の効果を検証する能力が欠如、②他に対策が思いつかないーのどちらかだろう。

 感染拡大を防ぐことはできなかったかもしれないが、医療崩壊を防ぐために対策を講じる時間は政府に十分あった。COVID-19患者専用の仮設病院を東京、大阪など各地に準備することはできただろうし、COVID-19患者に対応していた病院の機能拡大を政府支援で大胆に進める時間もあった(さらに、抵抗するだろう医師会を説得する時間もあった)。

 政府の対応が後手にまわり、感染拡大という状況を後追いしているだけと見えるのは、人々の接触を減らすことだけを目的とする対策の限界が明らかだからだ。COVID-19の感染拡大を防ぐことはできないと判断すれば、「次」の対策を政府は考えざるを得なかっただろう。科学的という言葉を政府は専門家の言いなりに動くことと理解しているように見え、政治的な決断を忌避している。

 「次」の対策とは、感染拡大を抑制することは難しいと判断し、増える感染者や重症者に対応するために全国で医療体制を強化することだ。感染拡大を抑制することができず重症者が増えることも抑制できないと判断すれば、全国であふれるだろう感染者や重症者に対応する体制を構築するしかないと見えてくるはずだ。

 現実世界は絶え間ない変化の中にあり、そうした変化に対応することが政治だと理解していれば政府は、変化を後追いするのではなく変化の先を読んで対応する。そんな緊張感は、選挙では頼りない野党に負けるはずがないと慢心している自民党政権には期待できないかもしれないが、それが感染拡大を後追いするしかない政府を存続させているのだとすると、現在の状況を招いたのは日本国民の選択の結果だといえる。

 「最悪の事態を想定して備える」ことが今の政府にはできていない。それで、そのうち良くなるだろうと状況判断が甘く、専門家の科学的判断に基づくとして自己判断を放棄し、現実に対応することに終始するだけとなる。「情勢分析は悲観的に」との大原則が政治家ら指揮・指導する側には求められる。