望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

無人島に持っていくもの

 「無人島に1枚だけCDかレコードを持って行けるとしたら、何を持っていくか」との問いは、頻繁に聴く愛聴盤か最も高く評価している作品は何かを尋ねている(無人島には電気がないだろうから、CDやレコードを持っていっても音楽を聴くことはできないのだが)。

 同様の問いに「無人島に1冊だけ本を持って行けるとしたら、何を持っていくか」がある。これも愛読書か最も高く評価する本を尋ねているのだろうが、無人島では読む時間が十二分にあるだろうから、愛読書などではなく、読むのに時間がかかる本を挙げる人もいる。例えば、大部の辞書など。

 これらの問いは、無人島に行って1人ぼっちになり、しかも帰っては来ないという想定だ。つまり、無人島に行ったきりになる。だが、食糧や水など生存に必要なものは確保でき、生存を続けていくことができるとの暗黙の前提があるらしく、本を読んだりする時間だけはたっぷりあるということらしい。

 愛聴盤や愛読本、最も高く評価するものなどを問うために無人島を持ち出す必要はない。無人島を持ち出すのは、現実の生活から完全に離れることと、所有物を失って身一つになることを設定するためだ。無人島に持っていくという選択は、多くの所有物を捨てて一つを残すという選択だ。

 無人島に持っていく本は「無人島での暮らし方のガイドブックだ」と友人、「あるいは、無人島からの脱出法を解説した本があれば、そっちの方がいい」。何を持っていくかではなく、無人島に1人で生きなければならなくなることに友人は目を向けた。

 しかし、「ガイドブックがあっても、無人島での生活の役に立つかどうかは判らない」と友人。無人島に一つだけ持っていくという設定なので、ガイドブックを選んだなら、他に何もないことになる。「ガイドブックに無人島ライフの多くのノウハウが書いてあっても、道具がなければ何も実行できないだろう。サバイバルナイフのほうが実際に役に立つかもしれない。いや、現代なら衛星携帯電話だな」。

 無人島で外界から遮断された時間を過ごした後、戻ってくるという設定ならば、「無人島に一つだけ持っていくことができるとしたら、何を持っていくか」との問いの無人島はリゾート地と同じだ。わざわざ無人島を持ち出すのは、現実生活から離脱することをロマンチックに想像させるためか。