望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「中華民族」という怪

 2012年に中国共産党の総書記に選ばれた習近平氏は記者会見で「我々は偉大な民族」で「5千年の文明発展の歴史において、中華民族は人類文明の進歩に貢献した」が、「近代以降、我々の民族は度重なる苦難を経験し、中華民族は最も危険な時を迎えた」とし、「我々の責任は、中華民族の偉大な復興のために努力奮闘し、中華民族を世界の民族の中でさらに力強く自立させること」と語った。

 「中華民族の偉大な復興」が、周辺諸国を従わせて君臨するという過去の中華王朝の再現を意味するとすれば、傍迷惑な発想といわざるを得ない。でも、中華民族なるものが偉大だった過去が本当にあるのかという疑問が湧いてくる。

 漢民族でも満州族でもモンゴル族でもない中華民族なる概念が、いつごろ形成されたのかと調べると、意外に新しい。20世紀に入ってからだった。中華民族という概念は1902年に初めて梁啓超が提起したもので、その後に孫文が「五族共和」(漢、満、豪、蔵、回による共和)を掲げつつ、中華民族の形成を訴えた(加々美光行著「中国の民族問題」=岩波現代文庫)。

 提起されてから百年以上の歴史があるのだから、概念としては定着したと言ってもいいかもしれないが、中国の20世紀は衰退の世紀だった。その間に形成された中華民族という概念を持ち出して「偉大な復興」と言っても、中華民族が偉大だった過去の実績はない。帝国だったのは唐や元、明、清などで、その当時、中華民族の概念はなかったのだから、「復興」の言葉は実体がなく、適当ではない。習氏の言う中華民族論は空想でしかない。

 中国共産党中華民族を持ち出したのは、独裁を正当化するためだ。共産党独裁は、プロレタリアート階級独裁の尖兵として共産党が位置するという構図だが、貧富の差の拡大を肯定する経済政策に転じたのだから、プロレタリアート独裁はもう持ち出せない。ヘタに階級意識を持ち出すと、今の中国にこそ共産主義革命が必要だテナことになりかねない。

 階級論を封印した中国共産党は、自らの独裁を正当化するためには、経済を高度成長させたとか、対日抗戦の勝利者であるとか、いろいろ「功績」を持ち出す。中華民族という曖昧な言葉も、中国共産党こそ中華民族の正当な代表であるとの意識を人々に植え付けるために利用している。また、経済が成長した現在の中国に対する人々の肯定感が、中華民族意識を許容しているのかもしれない。

 中華民族という言葉には、別の政治的な意味がある。それは、現在の中国に住む漢民族を始めとする人々に、中華民族という意識を持たせ、統一感を高めるという側面だ。そうなると例えば、「蔵」の自立要求は中華民族概念を否定することになり、「中華民族」に肯定感を持つ人々には違和感を生じさせる。つまり、中華民族という言葉を受け入れると、中国共産党の弾圧政策への容認につながる。