望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

大津波と“地球に優しい”

 こんなコラムを2005年に書いていました。

 震源域が千キロにも及び、断層が13、4メートルにもなったというスマトラ沖地震津波は、自然の力の計り知れなさを見せつけた。その巨大な力の前には人間も国家も単独では対応できず、支援・対応の規模もまさしく地球規模になった。


 ところで、エコロジーをアピールするキャッチフレーズとして“地球に優しい”という言葉がある。“自然との共生”もよく使われる。いずれも無条件に認められる大前提ででもあるかのように流布し、情に訴える言葉ではあるが、地球は“人間に優しい”のか? 自然は“人間との共生”を望んでいるのか?


 今回の地震津波を持ち出すまでもなく、日本列島は昨年、台風や集中豪雨、地震に見舞われた。毎年、世界では何かの自然災害が起こっている。地球は“人間には優しくない”のであり、自然は“人間との共生なんか考えていない”。もちろん地球にも自然にも意志などはなく、“優しい”にしても“共生”にしても人間が勝手に考えたイメージにすぎないのだが、地球や自然を持ち出すことにより、環境問題が人間の意識の問題であることがぼやかされている。


 オゾン層に穴が開いたとしても2万年もすれば回復するというし、温暖化が進んだとしても千年単位で考えれば小さな変化かもしれない。極端な話だが、地表のすべてが砂漠化し、生物の多くが死に絶えても地球にとっては、それも“自然”であろう。


 美しい自然景観の中に空き缶やゴミなどが散らばっているのは興ざめであり、木を切りすぎて山の保水力が低下し、洪水になりやすくなれば人間の生活に支障が出てくる。大量消費の結果としてゴミ処理が膨大になり対応に追われる。環境問題とは、人間の生活・生存環境の問題である。地球に優しい? そんなことはどうでもいい。自然との共生? 自己満足の意味しかない。



(おまけの話=1月8日夜のTBSテレビ番組「ブロードキャスター」冒頭でスマトラ沖地震津波のニュースを流していたが、津波の映像をバックにスポンサー名が表示され、そこに「水と生きる サントリー」とあった。何なんだ? この感覚は)