望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





「歴史問題」を葬る

 

 日本は歴史に真摯に向き合って来なかったとの批判がある。満州事変から太平洋戦争までの日本の「戦争責任」から目をそらしてきたなどという論だ。歴史的に敗戦国は世界に数多あり、それらの国が戦勝国の言いなりに数十年も「懺悔」し続けていたものなのか?という疑問はさておき、日本が批判されるのはドイツと比較されるからのようだ。



 ドイツは、国家権力を握っていた当時のナチスドイツに全責任を負わせた。一般のドイツ人もナチスドイツを許さないと反ナチスの立場を維持する。そんなドイツに比べ、当時の軍部主導の統治に対する批判が不徹底で、岸信介に象徴される戦前の支配層が復活した日本。「歴史問題」を清算していないように見えるのも無理からぬ面はある。



 ただドイツが「基準」になるのかという検証はされない。例えば周辺国との関係。日本は韓国、中国などに産業、企業など民間レベルで様々な技術援助(無償のものも多い)を長く続け、その蓄積もあって韓国、中国などは産業基盤を構築し、輸出市場を開拓した90年代以降、急速な発展段階に入った。ドイツの周辺で高成長した国はなく、今の欧州でドイツが一人勝ち状態であることとは好対照だ。



 日本もドイツ式に、戦前の軍国体制に全責任を負わせて「歴史問題」を清算するとともに、「歴史問題」と経済を切り離すべきだったかもしれないな。でも、懺悔の意も込めて近隣国を産業面で支援し、基盤を構築する手伝いなど行わず日本だけが経済的に安泰であったとしても近隣国に、ドイツを見習ったと評価されていたンでしょうか。近隣国の成長は遅々たるものだったろうに。



 「歴史問題」については、言葉や、時には跪くなどの態度で真摯に謝罪し、そうした謝罪した様子を見せつける。ただし、金が絡むと話は別、「それはそれ、これはこれ」で話し合いましょうというのは理性的な振る舞い方でしょう。変な言い方だが、残虐ぶりを比較するならナチスドイツは段違いに飛び抜けている。ナチスドイツとドイツ人を切り離す以外に、ドイツが存続できる道はなかったでしょう。



 「反省したドイツ、反省しない日本」というイメージが欧米社会にもあるようで、それを韓国や中国などはうまく利用している。そこで日本が、「実は悪くなかったんだ」などと言っても効果は限定的、あるいは逆効果になりかねない。ここはドイツを真似して、戦前の体制を日本人が否定してみせ、その上で戦前とは異なる体制である現在の日本の主張を展開するしかない。「歴史問題」を葬るためには、戦前の体制に全責任を押し付けるしかないでしょうから。