望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





阿Qの今

 現代の中国の地方都市に阿Qが生きていて、2012年のような反日デモを見かけたなら、面白そうだと飛び入り参加しただろう。デモが日系デパートなどに対して投石などを始めれば、阿Qも加わり、入口を破って店内に人々がなだれ込めば、阿Qも遅れじとなだれ込み、略奪している人を見て、それなら自分もと阿Qも略奪する。



 初めてデモに加わった阿Qは、沿道で多くの人が見ている中を、日本帝国主義打倒!とか日本軍国主義反対!とか叫んで歩き、気分が高揚した。そのうえ、デパートで好き放題に略奪できたのだから大満足だ。面白かったなあと阿Qは、また、反日デモがあれば必ず参加しようと決めた……

 

「阿Q正伝」の阿Qは自尊心の強い人物だが、周囲からは軽んじられている。小競り合いでは負けてばかりなのだが、負けても阿Qは様々な解釈によって自尊心を維持する。そんな阿Qは辛亥革命当時の革命党とは無縁だったが、革命党の威を借りて革命党の仲間を装い、「謀反だ! 謀反だ!」とわめき回って一目置かれることになり満足した。しかし、革命党の略奪の責任を押し付けられ処刑されてしまう。



 革命党が首斬りされるのを見て「面白れいもんだぞ」と言うような阿Qが、革命党の威を借りたのはなぜか。阿Qは、革命党とは謀反であり、謀反はけしからぬものであると考えていたのに。



 それは革命党が、地方に君臨している有力者をも怖がらす存在であるからだ。だから、阿Qはどうも「感心」する気持ちになって、さらに、阿Qが暮らす田舎のロクでもない人間たちのあわてふためく様子は、阿Qをいっそう愉快にもした。


 それで阿Qは「革命もいいなあ」と考え、「あのいまいましい奴等の命を革(あらた)めてやる。まったく憎らしい! まったく腹が立つ!……だから俺も、革命党の仲間に入ってやろう」と、田舎町を歩きながら大声で「謀反だ! 謀反だ!」とわめき出し、誰もが驚きおそれる眼差しで彼を見、阿Qは爽快な気分になり、いっそう面白くなって、歩きながらわめいた。(増田渉訳による)



 阿Qたちはいつでも「革命党」を探している。人々が反対できない権威や権力、主張に自己を同化させることは、周囲から一目置かれるとともに、自尊心を満たしてくれる。時には、「正義」の行動に酔い、激しく暴れても許容されるのだから「革命党」万歳だ。ただし、「革命党」にも流行り廃りがあるから、油断した阿Qたちは切り捨てられる。



 「愛国無罪」となると阿Qたちは大喜びで、何でもやりかねない。多くの阿Qをうまく使うことが権力にとっては欠かせない統治術で、そのためには、愛国の定義を権力が常に行い、阿Qたちの関心を「遠く」のものへ向けさせる。生活やら待遇やら身近な問題を着実に改善・改革して行くことも「愛国的」行動だと阿Qたちに気づかせないように。